昭和・平成・令和と時代は変わってますが

 

 

昭和時代の金融部門だけでも相当な資産が日本だけでも

 

 

流れていて。私は貿易を目的として世界各国を渡航し

 

 

物流なども考慮し日本のお茶なども世界に照会して

 

 

日本の商品を照会したり、海外からの商品を日本に

 

 

流通させたり、しながら日本の国土開発にも参加し

 

 

テレビ業界にも関わり国庫や世界銀行に資産を増やし

 

 

治安が悪かった時代も仕事で会議をおこなって役割を

 

 

作っていくと争っていた者も仕事が忙しくなり争う処ではなく

 

 

私の思案に素直に聞くようになって共に年々時代を作る

 

 

仲間として働くようになり、建設から興行まで関わって貯めた

 

 

資産を財源として円借款を通して学資教室の職員の仕事を

 

 

作り貿易や建設など総合して昭和60年で確認した金額は

 

 

一京円を国庫貯めて、円借款で政府に融資して、平成の

 

 

時代を迎え世界銀行を利用して資産を作り現在の世界の

 

 

金融の一部でも私欲を出していれば自分の生活も変わって

 

 

いただろうと思う不器用な自分だと思う昨今です。

 

 

そして私が時代の経済の決断をする権利行使をすれば

 

 

昭和の議員の不正や平成の不正や位の重要な意見を

 

 

順序させ私の地位が揺ぎ無い物と扱われ時代を開いた者

 

 

として意見を尊重される人物を認めさせたいと思ってます。

 

 

私は政府に一京円を国庫に貯め世界銀行にも融資して

 

 

円借款をして今は静かにしてるだけです。