もうすぐ東日本大震災から11年目の日(3月11日)がやってきます。
私はずっと、そのことを忘れてはいけないと思って拙ブログにつづってきました。
よろしければ、ぜひとも、リブログの記事を読んでいただければ幸いです。
これも以前アップした震災の被災されたご婦人に元気づけられたお話です。
これもよろしければご高覧下さればまた幸いです。
震災支援に先輩に連れられて「東日本大震災」「熊本地震」などのお手伝いをしてきました。,
最近、何ができたか?と問い直すようになりました。
恥ずかしながら「やったつもり、してあげたつもり」と驕ったのも事実です、そして「正直何もできなかった」が現実でした。
それでも、全国のボランティアの人たち、被災者の人たち、被災しながら被災者の自治を支える人たち、色んな人に出会いました。
その中のお話です。
何度目かのお手伝い(震災支援)で仮設住宅に訪れた時、あるご婦人から心を打たれるお話をうかがいました。
ただ、そこでは公の施設支援なので私は僧侶として宗教活動や伝道は控えていました。
ご婦人は
「私は、大切な家族も家も財産もすべて無くしました、そしてここ(仮設住宅)にやってきました。
この先どうして生きていったらいいのかと 『生きる希望』 もなくしました。
つらい、つらい、毎日でした、いっぱい、いっぱい涙も流した真っ暗闇の中の日々でした。
でも、その中、少しずつ、少しずつ、新しくできた被災者の自治体の人たちと接するようになりました。
そこで同じ境遇の人たちと生活を共にし、全国から支援のみなさんと接するようになってだんだんこう考えるようになりました。
先に逝った家族たちのことを「いのちある限り」思い出して、忘れずに、その分も「生きてゆきたい」と考えるようになりました、それができるのは私だけ、私の役目ですから。」 言われました。
そして
「私が経験する、今日の出来事、明日の出来事、これからの出来事・・・・・・いい事も悪い事も、
いつか私がそっち(お浄土)に行って家族に会った時に、たくさんお話をしたいですよ、これから私にできる事、やることはいっぱいあります。」
そのご婦人は、淡々と、でもすがすがしいお顔で私に話してくださいました。
ただ、私は、そのご婦人のお話に心を打たれて、恥ずかしいくらいただ泣いてしまいました。
「何で、私たちを元気づけるために来らした、あなたが泣いちゃうの、でもありがとうね」
と私を慰めて下さいました。
被災地から帰って、そのご婦人のことを考えていました。
胸がさけるような悲しみや痛みに苦しむ人が、多くの人の支えで「なぜ自分だけが」と虚しく悲嘆にくれるだけの状況から脱して、「どん底の中で生きる意味を見つけられたんだな」と思いました。
生き方、生かされ方は様々、それぞれの人生(生死)悩みつまづきながらの日暮らしです。
東北の被災地での体験は、私にとって、忘れられない、「生きる意味」「生かされる意味」を学んだ日々でした。
さぁ、私も、明日もがんばろう