鬼子母神というのは、本当は恐ろしい神様だったんだだそうです。毘沙門天の配下の武将の奥さんだそうな。なんかデータを探していてこんなのを見つけると「毘沙門天」に絡む女性は恐ろしいって。弁財天も毘沙門天の奥さんにやきもちを焼いて、お詣りに来るカップルを別れさそうとする悪戯をするし、この鬼子母神となると500人からの子持ちでそれを養うための栄養として人間の子供を食べるというとんでもないことする。それをお釈迦さんが”ナントカセントイカン”と乗り出して、鬼子母神の末っ子を誘拐して隠してしまった。気も狂わんばかりになった鬼子母神が釈迦に頼み込んだところで、説得して人間の子供を食べることをやめ、逆に子供を養護するようになったということらしい。そんな逸話のある神様らしい。ということで、鬼子母神には角が昔の名残として残っているとか。。。(Wikiを参照し抜粋、編集)
日本の仏像群で”鬼子母神”で有名なのは大津市、圓城寺(三井寺)の訶梨帝母倚像(左画像)、東大寺の鬼子母神坐像が重要文化財としては有名だと思う。(最近、東京の鬼子母神が重要文化財指定を受けたようだが未確認)
このように、一般的には右手にザクロを持ち、左腕で子供をだいている姿なのだが、円空さんの鬼子母神は子供はなく盆の上に多分ザクロろと思うものを持っている。
多分に、円空さんとしては細かい作業の伴う子供を抱く姿は敬遠したのかな?なんて思ったいrもする。
この円空作の鬼子母神は、研究者たちの研究では初期の作と言われている。というのは、いわゆる円空仏というのは、通称、鉈彫と言われるように荒削りの作風なのだは、この作品(を含め中観音堂の何体かが)は滑かな仕上げをし、非常に表情も柔らかいものを持っている。そのために、一見すると円空仏とは思えないだろう。
この鬼子母神を作るにあたって円空はどこにヒントを得たのかと疑問持つ。この円空の鬼子母神は立像だが、立像の多くが合唱しているものがほとんどで、盆を持つものは見つけることができなかった。
いずれにしても、鬼子母神は経典の”法華経”に出てくる話なので、その話のイメージだけで作り上げたのだろうか?
今までに数体の鬼子母神を彫っているが、もう一度ちょっと大きいものに挑戦してみたいと思っている。