お茶会 | babydollrのブログ

お茶会

茶の湯の席は、"一期一会(いちごいちえ)"と、よく言われる。幕末、桜田門外の変で暗殺された、彦根藩主で大老、井伊直弼が"茶の湯一会集"に記したという、この言葉。遡れば、千利休の弟子である山上宗二(利休同様に、秀吉の怒りを買い葬られるのだが)が、"山上宗二記"に「一期に一度の会」と記したのが、その起源のようである。

茶の湯の席では、もてなす側も、もてなされる側も一生に一度しかない出会いと心得て、お互いに誠意を尽くすことを説いている言葉である。そして、週末、その言葉に相応しい、印象に残るお茶会に出席した。


場所は北鎌倉の雪堂美術館。書家、小野田雪堂の書画が展示された館内に造られた茶席からは、"やぐら"と呼ばれる洞窟状の墳墓を背景に庭が広がる


床の間に、「この今をありがとうございます」という、雪堂先生の書による掛軸(上右写真)がかけられていたこの日のお茶会は、まさに"一期一会"を体現したかのような、多くの想いが凝縮された感動的なお茶会だった。


"雪堂茶会"と名付けられたこの日の茶会は、亡き小野田雪堂先生と共に、時間と精神を共有し、先生に見守られ、先生に今ある姿を見て貰う、そんなお茶会だったと思う。掛軸にかけられた先生の想い、それはその場に先生の魂が存在するということに等しい。そして、その空間に先生を慕う弟子の方々が集い、共に愛した空間で、先生にお茶を供え、先生から受け継いだ心を音、そして書で表現されるのを目の当たりにする。


夫によりインターネットでお茶会の情報を得、この美術館を初めて訪れた私は、それまで小野田雪堂という書家のことを知らなかった。 しかし、このお茶会を通して、先生の想い、そしてその世界に触れる機会を与えられたように思う。


庭に面したところに高い台があり、花が活けられていたのだが、そこに最初にお茶が供えられた。そこが、正客である先生の魂の席だったのである。そして、読経により、先生への祈りを捧げると共に、そして凛とした空気が漂う。そういう中で、茶会は始まったのであった。


雪堂先生の良き盟友と言ってもいいのだろう、建築家で茶人、書家でもある、太田新之介さんが亭主を務められ、お茶の心、先生の思い出ほか、多くの含蓄ある話を語って頂いた。そして、雪堂先生の弟子でディジュリドゥ(オーストラリアの先住民より伝わる大きな木の筒の楽器)奏者のKNOBさんの魂の演奏、そして書家、玉木浩堂さんが墨をとり書を文字をしたためた。それは、まさに音と書による魂の競演だった。


約2時間のお茶会は、時と空間と人と芸術との集大成。まさに"一期一会"、「この今をありがとうございます」という先生の言葉を心に感じだ。そんな心地よい余韻に包まれ、美術館を後にしたのであった。


美術館には、小野田雪堂の描いた、書画が展示されているが、どれもが温かい。金子みすずや山頭火の詩も、情景豊かにその心が描かれていて、何か胸を打たれるものを感じる。しかし、私もこの日、初めて触れたばかりである。是非、また訪れてみたいと思う。