大阪大空襲(おおさかだいくうしゅう)は、第二次世界大戦末期にアメリカ軍が繰り返し行った、大阪市を中心とする地域への戦略爆撃ないし無差別爆撃の総称である。

1945年3月13日深夜から翌日未明(日本時間、以下同様)にかけて最初の大阪空襲が行なわれ、その後、6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日に空襲が行なわれた。これらの空襲で一般市民 10,000人以上が死亡したと言われている。

1945年6月1日9時28分から11時にかけての約1時間半にわたっておこなわれた。大阪港と安治川右岸の臨港地区や、城南の陸軍施設周辺を攻撃目標とし、計509機が来襲した。アメリカ軍の照準点は福島駅近辺、福島区大開町、安治川口駅近辺、港区・大阪市立運動場(現在の八幡屋公園)、大正区福町(現在の鶴町5丁目)、東区(現中央区)上町、東雲町、森之宮・玉造周辺。大阪市西部を中心に8.2平方キロメートルに被害を及ぼした。この空襲では、港区と大正区に壊滅的な被害が出た。またP51が初めて来襲し、機銃掃射をおこなっている。

大阪城の脇に砲兵工廠があったので標的になったのだと思います。

東京大空襲はもっと悲惨だったと聞いています。