8月4日(金) ルワンダとミュンヘン。 | もりもり日月抄

8月4日(金) ルワンダとミュンヘン。

7時起床

朝食

納豆、ハム、お味噌汁(ナス)



今週は夏休みと銘打ってぐうたらを満喫。

午前中、百夜行。

今年初めてクーラーをつける。

むちゃくちゃ暑い。

それでもクーラーがガンガンに効きすぎた部屋にいると寒くて外の暑い方がまだマシと感じて結局外の暑い地域にいることになってしまう。

やはり全裸でクーラー18度は寒い。

ちんちんもしょんぼりだ。




午後、池袋に。

新文芸座へ。


ホテルルワンダ、ミュンヘンの二本立て見る。

二本立てで1300円也。

久しぶりに新文芸座に行ったがいいねぇ。

男も女も大槻ケンヂみたいな人が多く落ち着くのう。

しかし久しぶりに二本立てを見ただけあってケツが痛い。

は!

これが痔の前兆か!

二本立て映画を見るときは痔に注意。


ホテルルワンダはずいぶん前に公開されたのでもうイロイロなところで語られ尽くされた感もあるがようやく見る。


ルワンダ。

ルワンダについて日本人、そして世界の人はどれくらいのことを知っているのだろうか。


まずアフリカにある国ということは知っていてもどのあたりにあるとかわからない。

アフリカ大陸の中央あたりに位置するごくごく小さい国だ。


映画を見ていてもわかることだが、この映画のポイントはフツ族とツチ族というものの存在だ。


なぜこの二つの民族の間に争いがあるのか。


第一次世界大戦まで時は遡る。

敗戦国ドイツから戦利品としてルワンダをベルギーが貰い受ける。


この際、ベルギーは支配をしやすくするために、ルワンダの国内において仲たがいをさせる。

つまり、それがフツ族とツチ族だ。

日本で言うところの士農工商のうち農民よりしたにさらに低い地位を設けて上見て暮らすな下見て暮らせとやった例のやり方といっしょだ。

国、時代が違えども支配者の考え付くことは同じだ。


映画の中でも語られるが外見上目鼻がくっきりしていて、肌の色が少し薄いとされた方のツチ族をイロイロな面で優遇し、身分証明のためのIDや、徹底的な身分差別教育により国内から分裂させて宗主国ベルギーに対する不満を反らすことに成功する。


1960年代のアフリカ独立の流れと時を同じくしてルワンダでも独立の機運が高まり、ベルギー主導による民主化が推し進められることになるのだが、今まで優遇されてきたツチ族は反発し、ベルギーはフツ族の方を後押しする形となる。


そして1962年にルワンダはベルギーから独立するとともにツチ族支配からフツ族支配へとかわっていき、今度はツチ族への迫害が始まる。

ウガンダに逃げ込んだツチ族はルワンダ愛国戦線(RPF)を結成し、ここに内戦が勃発することになるのだ。



映画はフツ族の大統領がRPFと和平協定を結ぶ前夜から始まる。


フツ族の強硬派はこの和平協定を軟弱とみなし反対していた。

そこに大統領の飛行機が墜落するというニュースが飛び込んでくる。


真相は定かでないが、フツ族強硬派はこれをRPFの仕業と喧伝し、ツチ族の皆殺しジェノサイドを始めていく。

約3ヶ月で100万人が虐殺されたとしている。





映画の主人公ポール・ルセサバギナ(以下バギナ)はホテル、ミル・コリンの支配人であり、そこに逃げ込んできたツチ族の民、1000人余りを無事国外に非難させることに成功する、といった話。





はっきりいって、主人公バギナのやった行為は焼け石に水だ。


1000人やそこら救ったところで100万人が虐殺されている事実の前にはそんな数の人間を救ったところで何の意味があるのか。そう思ってしまう。


しかし、目の前で助けを求めている人を見捨てることのできないという人間として当たり前の行為ができるかできないか、これが問われているのだ。


非常時に当たり前のことをすることの困難さ。

通常であれば普通にできることも非常時にできる人は稀であろう。


主人公バギナはこの当たり前のことが非常時にもできる人だった。


家族に対する愛、隣人に対する友情、助けを求める人に対する情け、仕事に対する真摯な態度、そしてその目的のためには賄賂など手段を厭わない強引さ、これらが渾然一体となって、この映画のジェノサイドというものの現実を突きつける相乗効果を高めている。



劇中、アメリカの報道カメラマンが言う、

「この虐殺の映像をみても、怖いね、って言ってディナーを続けるんだ。」


確かにそうかもしれない。

オレも今日はこのむごい惨状をみて戦争とうものの非情さを怨むが、明日になれば薄れてそのうち消えてしまうかもしれない。


しかしそれでもやはり見た人間と見ていない人間とでは体の中に何か異質のモヤモヤの存在の差が出てくると思う。


見たことある、聞いたことがある、そのような人間が増えていけば必ず何かが変わる気がする。




ラスト、エンドロールが流れるときに歌われるエンディング曲の歌詞に滂沱の涙。



ルワンダ ルワンダ

アメリカがアメリカ合衆国なら、なんでアフリカはアフリカ合衆国にならないんだ。

イギリスが連合王国なら、なんでアフリカはアフリカ連合王国にならないんだ。




先進国の欲望と欺瞞の結果生まれた憎しみはとどまることを知らずに暴走してしまった。





内戦モノといえば最近で言えばやはり、『ブラックホークダウン』が真っ先にあげられるだろう。

これは内戦モノとしては最高傑作に挙げてもイイ。

まずマニアうけするオタッキーな要素が存分に散りばめられている。


ブラックホークダウンについては以前に述べているので割愛するが、このブラック~で扱われているソマリアの内戦での国連の介入失敗という痛い経験がこのホテルルワンダでのルワンダからの国連軍撤退という負の効果を生み出していることも忘れてはいけない。



しかし、バギナはいいスーツを着ている。









一方もう一つの作品『ミュンヘン』については二回目ということで感想は前回参照。


ただ、今回見て気付いたのは70年代ファッションが実にうまく再現できていてカッコイイ。


そして何回見てもイイのがオランダ女の殺害シーン。

裸の美しい女の体に


ポン!

ポン!


と仕込銃を撃ち込むとどす黒い穴が開き、しばらくしてから


ぶしゅー

どくどくどくー


とこれまたどす黒い血が噴出すシーンはすごく痛い。


痛いシーンは痛いと感じるようにリアルにグロで描かなければならない。




今日もお昼の番組で富士の樹海特集をしていて死体や白骨がゴロゴロ発見されるのだが、

モザイク処理で一切我々は見ることができない。


死体は死体としてうつせ。

目を背けたくなる現実をテレビの前でノウノウとメシを食っている人間に叩きつけろ。

気分が悪くなるだろう。

しかし、テレビの前で幸せに家族と、恋人と、会社で見ている一方で富士の樹海で首を吊ったり、屋上から飛び降りたりと、年間3万人が自殺しているという現状。


へー

そんな死んでるんだ。


で終わってしまわないように、腐乱した死体を画面に映せ。

うまいメシを食っている俺たちに腕がもげたどこかの内戦の死体をうつせ。

子供がナタで虐殺された腸がはみでたハエのたかった死体をうつせ。


視聴率は確実に下がるだろうが、オレは見るよ。

それが第四権力たるメディアの義務だろう。





ミュンヘンは二回見たがなおイイ。

見てない人は見ておかなければいけない作品だ。

人生には見ておかなければいけない作品というものがある。

ミュンヘンはその一つに挙げてイイ。



二作品約5時間。

双方人がバンバン死んでいく内容に少々食傷気味のオレだったとさ。








たけしの誰でもピカソ

伊藤若冲特集。


へー

宇多田ヒカルのSAKURAドロップスとかゆー曲のPVの映像は若冲の鳥獣花木図屏風だったんだ。

これね。

http://f.hatena.ne.jp/jakuchu/20060511101214

言われてみるとホントそう。


色彩鮮やかなりとは思っていてけれど。

さすが若冲。


宇多田はどうでもいいですよ当然。