
▲金戒光明寺の門には京都守護職の看板がある
松平容保と新撰組の関係を学びました
こんにちは。先日、営業の合間に時間が空いたので喫茶店に行くとお店に漫画がたくさん置いてあり、「るろうに剣心」という漫画を読みました。
私が小学校4年生くらいの時に読んだのですが、ストーリーをざっくり言うと幕末から明治時代の始め頃を舞台に主人公の緋村剣心が刀を武器に敵と戦う少年漫画です。(笑)
最近では俳優の佐藤健さんを主演に映画で実写化されている作品になります。
今思えば私なんかは時代背景等は理解していなくて、ただただ登場人物の緋村剣心や新撰組がカッコいいから見ていたなぁと思います。
そして私が初めて幕末、明治維新という単語に触れたのが「るろうに剣心」でした。それから学校で歴史の授業が始まり、江戸幕府による鎖国令、ペリー来日、坂本龍馬による薩長同盟、明治維新、文明開化という単語を覚えました。
さらにNHKの大河ドラマでSMAPの香取慎吾さんが近藤勇を演じる「新撰組」、福山雅治さんが坂本龍馬を演じる「龍馬伝」なんかを見ては、幕末は心が熱くなるカッコいい時代という雰囲気で好きな時代として私の中にありました。
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そして久しぶりに「るろうに剣心」を読んでみると、本当に時代背景を理解していなかったなぁと気付かされました。「るろうに剣心」主人公の緋村剣心は幕末の京都において、明治維新を起こした側の人間として長州藩と薩摩藩に雇われて幕府側の人間を暗殺する役目を負っていました。
そして敵として登場する新撰組は江戸幕府側の立場で、京都の治安を維持するために緋村剣心のような暗殺者を取り締まります。緋村剣心と新撰組の三番隊組長である斎藤一が戦う場面なんかは、どっちかというと見た目的にも斎藤一が完全に敵っぽい雰囲気で描かれますので、小学生の私なんかは緋村剣心が正義で新撰組が悪と思ってました。
しかし本来は国家を治める幕府の人間を暗殺する緋村剣心こそ悪であり、そんな暗殺者を取り締まる警察的立場の新撰組の斎藤一が正義のはずです。今風に言えば緋村剣心のような暗殺者はテロリストです。しかしその後の歴史で江戸幕府は倒れて新しい明治という時代を迎えたことで、新撰組が属する幕府は悪となり緋村剣心が属する新政府が正義になったのです。
少年漫画と言えど、るろ剣は意外と考えさせられるなぁと思いました。(^^;)
そこで今回はあらためて新撰組の立場と上司の松平容保についてブログにしてみました。幕末好きな方にとっては当たり前すぎる知識かと思いますが。。。私なりに新撰組について理解してみようと思いますので、詳しい方は読まないで下さい(^^♪

▲金戒光明寺に松平容保は本陣を置いた
新撰組や京都守護職が生まれた理由
新撰組や京都守護職が置かれた当時の京都の町では、現在で言うテロ行為が連日のように起きまくっていました。まさに「るろうに剣心」で剣心が幕末の京都で幕府の人間を天誅と言って暗殺していた場面が実際にたくさん起きていたのです。暗殺の実行者は主に長州藩(吉田松陰や高杉晋作、桂小五郎がいた藩で今の山口県)や土佐藩(坂本龍馬がいた藩で今の高知県)や薩摩藩(西郷隆盛や大久保利通がいた藩で今の鹿児島県)でした。暗殺対象者は主に江戸幕府の人間や幕府に味方する公家や商人でした。その残虐な行為は記録としても残っていて、ただ殺害するだけではなく、生首を人の集まる場所に放置したり、切った腕や足を幕府側の人間の家に投げては次はお前だみたいな威嚇や、男性だけでなく女性も容赦なくしたそうです。(>_<)
京都の町はそんな状況だったので治安維持のために幕府は新撰組や松平容保をトップに据えた京都守護職が新しく設立されたのでした。

▲桜の季節の金戒光明寺
後の新政府の人達はなぜ暗殺を起こしたのか?
当時アメリカからペリーが開国を要求するために来日した際、幕府は欧米の軍事力と戦うことなど不可能と理解し開国することを決めました。しかし国内の大多数の人々は開国に反対だったので、幕府に対する不満が湧き起こりました。さらに当時の天皇である孝明天皇が外国大嫌いの立場の人だったこともあり、京都の朝廷が幕府に対して条約を破棄しろと要求します。これに幕府に不満を持つ人々が賛同し、孝明天皇を中心に反幕府の立場の人が京都に集まるようになったのでした。また庶民の生活も開国したことで不景気になりました。日本産の金や銀に生糸や海産物、米と麦がどんどん輸出したことで国内が物不足になり物価が上昇したことで庶民の生活も苦しくなってしまったのです。約200年続いてきた江戸幕府に対する不満も積み重なり、各藩だけでなく庶民までも幕府に不満を持つ人が多く、力を持つ長州藩や薩摩藩の人達が倒幕を目指すようになりました。
学校の授業で「尊王攘夷」とは天皇を中心にして外国を敵とみなして開国しない考えと習った気がします。でも幕府倒した後の明治政府は鎖国どころか、より欧米の文化を吸収するために開国してるので、江戸幕府が開国したことに何故反対したのかよくわからなくなって頭が混乱してきます。汗

▲桜の季節の金戒光明寺の山門
京都守護職に会津藩主の松平容保が就任
そんな治安が悪化している京都の治安を守るために幕府は京都守護職という機関を設立し、そのトップに任命されたのが松平容保という人です。彼は会津藩(今でいう福島県)のトップに立つ方でした。会津藩は軍事力の優れた藩ということで幕府から任命されました。(本当は任命を拒否したかったのですが、仕方なく受けました。詳しいことはまた今度)
松平容保は任命後、兵士約千人を率いて会津から京都の金戒光明寺にやって来ました。
本当は彦根藩(今の滋賀県)が京都の治安を守る立場でしたが、当時は彦根藩主の井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されてそれどころじゃないとして会津藩に仕事が回ってきました。

▲新撰組が駐在していた壬生寺
新撰組は悪なのか正義なのか。
その一方で後に新撰組になる人達は、徳川将軍が京都に来る際の護衛として東京から京都に来ました。そして近藤勇や土方歳三等の主要メンバーはそのまま京都に残り、京都守護職である松平容保の下で幕府側の立場で長州藩や土佐藩の暗殺者達を取り締まり、京都の治安をよくするために活動します。つまり新撰組の成り立ちを知ると、今のところ悪者ではないんですよね。もっと勉強する必要があるとは思いますが、現時点の私の知識ではそう思うのです。
(今回は新撰組の立場だけを理解したいため細かい新撰組誕生話は省かせて頂きます。)

▲京都御所にある蛤御門
新撰組の池田屋事件や蛤御門の変での活躍
新撰組は京都で活躍します。有名な池田屋事件は尊王攘夷派の長州藩の人達が京都御所や京都の町に放火をし、その隙に天皇を長州藩に拉致し、幕府側の松平容保、一橋慶喜の殺害計画の実行日決める会合が池田屋で行われることを事前にキャッチした新撰組が突撃して実行犯達を捕まえました。また池田屋事件で重要な人材を亡くした恨みを晴らすべく、長州藩が軍隊を率いて京都御所に突撃し、天皇の住む御所に向けて砲撃、発砲を行うという蛤御門の変が起きた際も新撰組は鎮圧に貢献したのでした。
当時の長州藩は「尊王攘夷」と言いながら、尊王つまり天皇を敬う気持ちなんて全く無いと思われても仕方ない位過激でした。これを聞くと私はまた混乱するんです。どっちなんだよと。(-_-)zzz

▲京都御所の風景 都会の中にこんな公園があって羨ましい
戊申戦争により新撰組と松平容保は敗北そして悪者へ
その後は坂本龍馬による薩長同盟が成立したことで、幕府は新政府軍に敗れる未来が決まりました。鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊申戦争が始まりました。学校の授業で江戸城の無血開城なんて単語を習いましたが、江戸以外では幕府側の人間の命が失われました。特に会津藩は長州藩から目の敵にされていたせいで、会津若松城の白虎隊で有名ですが、女性も男の子も女の子も大変残酷な殺され方をしたそうです。歴史の教科書では習わない明治維新の闇の部分です。そして新撰組の隊員達は各戦場で新政府軍に敗れました。土方歳三は北海道まで戦いを続けて五稜郭で亡くなりました。

▲京都御所 紫しん殿
明治維新のおかげで現在の日本がある
幕府を倒した後、日本は近代化に向けて内政改革を行い、開国して外国の知識をどんどん取り入れて欧米化しました。そのおかげで日清戦争や日露戦争で勝利を収めることができました。太平洋戦争ではアメリカに負けましたが、現在の経済発展した日本があるのは明治維新のおかげだと思います。明治維新を否定するつもりは全くありません。過去のことを否定しても私は私で存在していますし、明治維新のおかげで私の今があることを否定はできないからです。でも明治維新は本当に光輝く出来事だけだったのだろうか?多くの犠牲があったことをちゃんと知る必要があるのかもしれないと考えさせられました。
つづく