通圓 外観
▲通圓の看板

源氏と平家って何だっけ?

こんにちは。
前回は老舗茶舗「通圓」についてブログにしました。
創業856年も続く通圓は代々お店を子孫が継いで現在は24代目の通円祐介さんがお店を経営していますが、初代通圓は源頼政に仕える武士だったそうです。さらに学校の古典や日本史の授業で出てきた宇治橋と平等院鳳凰堂を舞台にした「宇治川の合戦」において、平清盛軍と戦い命を落としました。

学校の教科書で取り扱われる出来事に関わり、日本人なら誰もが知っている平清盛と戦った子孫が営業するお店を目の当たりにすると少し感動します。美味しいお茶を知るだけでなく、歴史も学べたような気がして良かったなんて思ったりするのですが。。。
「宇治川の合戦って何だっけ?」「源頼政って誰?」「源氏と平氏って何だっけ?」と実は理解していないことも頭に浮かんできました。

そこで今回は「そもそも源氏と平氏って何だっけ?」という知ってるようで、実は人に説明できない疑問についておさらいしてみようと思いました。
学校の授業を思い出すと、源氏は源頼朝や源義経のように「源」を名字にする一族に対して、平氏は平将門や平清盛のように「平」を名字にする一族でした。そして源氏である源頼朝は平清盛を倒して鎌倉幕府を建てた。。。程度の記憶が私の頭に残っています。また大学受験の時は他にも源や平を名字にする人物が何人かいたので、まるでロボットのように感情を捨ててノートに単語を書きまくって無理やり暗記したことを思い出します。(^^;)

宇治橋と宇治川
▲宇治橋 宇治川の合戦や源義経も宇治川で平家軍と戦った。

源氏と平氏はただの名字

源氏(げんじ)と平氏(へいし)という普段聞かない響きが難しそうに感じますが、源氏と平氏はただの名字です。どらえもんに登場する「しずかちゃん」は名字が「源(みなもと」で、最近サッカー日本代表の長友選手のアモーレ(恋人)としてニュースになった女優の「平愛梨さん(たいらあいり)」は名字が平ですね。(笑) 平安時代や鎌倉時代には源(みなもと)と平(たいら)を名字に持つ人が歴史に名を残しました。

でも偶然「源」と「平」を名字に持つ人がたくさんいた訳ではありません。
「源」と「平」を名字に持つ人達は特別な一族と言えます。何故なら彼らの祖先は天皇だからです。源氏は平安時代の嵯峨天皇や清和天皇、平氏は桓武天皇が祖先になります。つまり源頼朝と平清盛は祖先は同じ天皇家でありながら敵対関係になってしまったのです。

京都御所
▲京都御所

臣籍降下によって源氏と平氏は生まれた

なぜ源氏と平氏の祖先が天皇なのか?
その理由は臣籍降下(しんせきこうか)と言う制度を知るとわかります。天皇家は現在も国民の税金によって生活をしていますが、昔の平安時代でも同じでした。しかし現在よりも天皇家は大人数でして、源氏の祖先の嵯峨天皇は子供が50人程、平氏の祖先の桓武天皇も30人程いたと言われています。(当時は天皇に妻が何人もいたので。。。)子供だけでなく奥さんや孫の分まで国民の税金で生活を賄うのは大きな負担でした。そのため天皇を継ぐ可能性がない子供達は、天皇家から自立させることにしたのです。

そしてその際に嵯峨天皇や清和天皇の子には「源」、桓武天皇の子や孫には「平」の名字が与えられました。ちなみに天皇には名字がないことって常識なんでしょうか?現在の天皇も名字はないんですって。私は今回初めて知りましたが、昔から天皇家から自立した証として名字が与えられるんです。

延暦寺から琵琶湖

京都から地方へ

天皇の子や孫として税金で生活する立場から自立して生活することになった源氏や平氏は貴族として京都で生活していましたが、彼らの子供や孫の代には生活が苦しくなる人も現れます。都で優雅な生活を送ることができる仕事は限られており、藤原氏など天皇家を支える優秀な一族が地位の高い仕事に就いているのです。そのため彼らの中には京都から地方へ移住する人達が現れます。

当時の京都以外の地方には現在の県庁のような組織があり、各県庁はその土地で生活する人々から税金を回収して京都へ納める仕事をしていました。その組織のことを国衙(こくが)、県知事に当たる役職を国司(こくし)と呼びました。そして国司には京都から貴族が派遣されていました。そのため源氏や平氏の中には国司や国衙で働く人達が登場します。

仁和寺南大門

天皇の子から武士として生きる

当時の税金は一般市民にとって負担でしかありませんでした。現在のように医療費が少なくて済むとか、税金によって道路や学校ができる等のメリットが市民に還元されることがない社会です。無理やり税金取られて、その税金は天皇や貴族達が贅沢な生活をするためだけに使われます。

そのために税金を払うことを拒否する人や、暴動を起こす人達が現れます。しかし国司は赴任期間中は必ず京都へ税金を納めることが義務づけられているので、そんな人達からも税金を徴収しなければ自分が失業してしまいます。そのため国司は自ら武装したり、武装した人を雇う等して武力を用いるのです。そこで地方に移住した源氏や平氏の中には、武装して税金を取り立てることを仕事にする人が現れます。国司にとって武力によって税金を回収してくれる源氏や平氏は有り難い存在となり、国衙の戦力として活躍します。
これが源氏と平氏が武士になった始まりです。

京都御所
▲京都御所

地方の武士から都へ

京都から離れた各地で政府に対する反乱が起きると、武士が反乱の鎮圧のために派遣されるようになります。そこで活躍した武士の中には恩賞として京都の役職を与えられ、貴族社会に復帰する人も現れます。

そして武士として大きな権力を握ったのが桓武天皇を祖先に持つ平氏の平清盛でした。彼は天皇の次に位の高い太政大臣まで出世し、位の高い職には同じ平家(平氏一族)を就かせて政治を動かします。しかし周りの貴族や天皇、同じ武士である源氏一族から平家に対する不満が積み重なり、最後は学校で習った通り源氏である源頼朝に平家は滅ぼされてしまいました。
(頼朝と清盛については別の機会に調べようと思います。今回はここまでで。(^^;))

源頼朝や平清盛など源氏と平氏の祖先が天皇であることは世の中の常識なんですかね?学校で習いましたっけ?私は知りませんでした。(汗)そうすると天皇家って凄いなぁ、日本の歴史は天皇家をなしには語れないんだなぁと思いました。

天皇の息子と言えば、私は物静かなお坊ちゃんをイメージしてしまうのですが、武士の中でも頂点に立てる実力を持つ強くて優秀な子孫だったということです(^^;)現代と当時では社会環境や常識が違いますから、平和な現代に生きる私の感覚で当時の人の気持ちを理解することはできないでしょうが、社会や身の回りの状況次第で私も戦場で戦う決意ができるのかも知れない。。。なんてことをふと考えてしまった。(^^;)

通圓 店内
▲通圓店内

とまぁ。そんな訳で。
宇治にある老舗茶舗「通圓」から源氏と平氏の歴史について考えてみました。(^-^)

ちなみに平清盛と源頼朝の系図を辿ると確かに天皇が祖先になります。

桓武天皇-葛原親王-平高望-平国香-平貞盛-平維衡-平正度-平正衡-平正盛-平忠盛-平清盛

清和天皇-貞純親王-源経基-源満仲-源頼信-源頼義-源義家-源義親-源為義-源義朝-源頼朝