こんにちは、大阪にある四天王寺に行きました。

遠くに見えるあべのハルカスと五重の塔
たまには大阪観光してみました。
神戸から阪急電車に乗り、梅田駅で御堂筋線に乗り換え天王寺駅下車。徒歩10分。
約1時間 片道600円
神戸・大阪・京都の距離感は本当に便利で素敵ですね。

五重宝塔 戦争時空襲により焼失 昭和34年再建 鉄筋コンクリート製
この度四天王寺を訪問したいと思った理由は、
・聖徳太子が建立し、日本仏教最初の寺であること。
寺の始まりを知ることで京都観光をより深く楽しめると思いまして。
おまけで下記理由もありましたが。。。笑
・あべのハルカス(日本一高いビル)が見れる。
・通天閣が見れる。
・西成区といわれる治安の悪いエリアが見れるかも

朱色と緑の回廊
四天王寺の起こりについて。(素人なので詳しいことは専門家へ 笑 )
自然を崇拝し、神社を中心に人々が纏まっていた日本に大陸から仏教が伝わりました。
聖徳太子は仏教思想が日本にとって有益と考え、仏教を新たに日本に取り入れようとした。
一方でそんな海外の訳のわからんものは必要ないと考える人々がおり、仏教を取り入れようとする人々と仏教を排除しようとする人々との間で戦争する事態が発生。仏教を取り入れたい聖徳太子は戦争に勝つために、仏様にお願いしました。
『この戦争に勝たせて下さい! もし勝った際は仏様を祀る四天王寺を建立します!』
そして戦争に勝った聖徳太子は約束通り四天王寺を建立したそうな。。。

金堂と五重宝塔
宗教という単語を聞くと拒絶反応をしてしまうのですが。。。笑
単純に大陸の進んだ知識や技術が仏教を通して学ぶことができ、自分達のためになるから仏教を取り入れようと思ったのではないかなぁ。
日本より進んだ、木造で五重の塔やお寺の建てることができる建築技術や、
病気を治す薬草の知識。人間とはこうあるべきだとか思想や道徳感。。。
きっと役に立つ知識がたくさんあり、自分達のために吸収したかったんじゃないだろうか。

太子殿(聖霊院)戦争時焼失 昭和29年再建
五重の塔等の中心伽藍の東に太子殿という聖徳太子を祀る場所があります。
五重の塔が目立ちますが、四天王寺の主役はこの太子殿な気がします。

新緑の木々
こじんまりと自然で覆われていて、ほっと落ち着ける雰囲気。

太子殿の入口
今でも人々に太子様と信仰される聖徳太子。素直にすごい。
でも正直何をしたのか深く理解していないから、偉大さがよくわからないのが残念だぁ。
もっと日本の歴史を勉強したい、もっと国の歴史、文化に誇りを持てるようになりたい。

石塔
大陸から輸入した文化物にも自然を大切にする日本の良さが表れている。。。のかな。

奥殿 ぼかしてみる。。。笑

菊の紋
聖徳太子は用明天皇の息子なので天皇家。
天皇家を象徴する菊の紋が太子殿にはあります。
知らなかった 笑 太子様ごめんなさい。

太子殿の北には、とても綺麗な自然に囲まれた場所が。。。
ここは本当に大阪なのか?

五智光院 1187年後白川法皇時代に建立し1623年徳川秀忠により再建

五智光院の隣には極楽浄土の庭という名の日本庭園がありました。

本当にここは大阪か!?
大阪の皆様には大変失礼なのですが、大阪=ごちゃごちゃしていて自然がない というイメージを持っていたので、この日本庭園には驚きました。

自然に触れると嬉しくなります。四天王寺侮り難し。何回も来たいです。

奈良の東大寺のように、都が京都に移る前の寺は京都のに比べて大きい!
現代人が見てもすごいなぁと圧倒される。。。昔の人々はもっと衝撃を受けたに違いない。
四天王寺に於いては、人は木造の五重の塔を見てどうやって建てたのか不思議に思う
仏様とはすごい存在なんだ!あんな立派でしかも日常にはない朱色で塗られている。
感動して信仰する人々がたくさんいたんじゃないかな。

仏教の教えに従えば慎ましく生きることができる。
一方で信仰する人が増えれば寺はビジネスとして儲かるし、権力も集まってくる。
また人々を指導する立場の人にとっては、仏教の教えを盾に人々を自分の思う方向に動かすことができて都合が良い一面もあったのか。。。
な~んて。 一人で勝手にいろいろ考えてみたりしました。
四天王寺はまだまだ見るべきところがあって、もう一度来たい場所となりました。

遠くに見えるあべのハルカスと五重の塔
たまには大阪観光してみました。
神戸から阪急電車に乗り、梅田駅で御堂筋線に乗り換え天王寺駅下車。徒歩10分。
約1時間 片道600円
神戸・大阪・京都の距離感は本当に便利で素敵ですね。

五重宝塔 戦争時空襲により焼失 昭和34年再建 鉄筋コンクリート製
この度四天王寺を訪問したいと思った理由は、
・聖徳太子が建立し、日本仏教最初の寺であること。
寺の始まりを知ることで京都観光をより深く楽しめると思いまして。
おまけで下記理由もありましたが。。。笑
・あべのハルカス(日本一高いビル)が見れる。
・通天閣が見れる。
・西成区といわれる治安の悪いエリアが見れるかも

朱色と緑の回廊
四天王寺の起こりについて。(素人なので詳しいことは専門家へ 笑 )
自然を崇拝し、神社を中心に人々が纏まっていた日本に大陸から仏教が伝わりました。
聖徳太子は仏教思想が日本にとって有益と考え、仏教を新たに日本に取り入れようとした。
一方でそんな海外の訳のわからんものは必要ないと考える人々がおり、仏教を取り入れようとする人々と仏教を排除しようとする人々との間で戦争する事態が発生。仏教を取り入れたい聖徳太子は戦争に勝つために、仏様にお願いしました。
『この戦争に勝たせて下さい! もし勝った際は仏様を祀る四天王寺を建立します!』
そして戦争に勝った聖徳太子は約束通り四天王寺を建立したそうな。。。

金堂と五重宝塔
宗教という単語を聞くと拒絶反応をしてしまうのですが。。。笑
単純に大陸の進んだ知識や技術が仏教を通して学ぶことができ、自分達のためになるから仏教を取り入れようと思ったのではないかなぁ。
日本より進んだ、木造で五重の塔やお寺の建てることができる建築技術や、
病気を治す薬草の知識。人間とはこうあるべきだとか思想や道徳感。。。
きっと役に立つ知識がたくさんあり、自分達のために吸収したかったんじゃないだろうか。

太子殿(聖霊院)戦争時焼失 昭和29年再建
五重の塔等の中心伽藍の東に太子殿という聖徳太子を祀る場所があります。
五重の塔が目立ちますが、四天王寺の主役はこの太子殿な気がします。

新緑の木々
こじんまりと自然で覆われていて、ほっと落ち着ける雰囲気。

太子殿の入口
今でも人々に太子様と信仰される聖徳太子。素直にすごい。
でも正直何をしたのか深く理解していないから、偉大さがよくわからないのが残念だぁ。
もっと日本の歴史を勉強したい、もっと国の歴史、文化に誇りを持てるようになりたい。

石塔
大陸から輸入した文化物にも自然を大切にする日本の良さが表れている。。。のかな。

奥殿 ぼかしてみる。。。笑

菊の紋
聖徳太子は用明天皇の息子なので天皇家。
天皇家を象徴する菊の紋が太子殿にはあります。
知らなかった 笑 太子様ごめんなさい。

太子殿の北には、とても綺麗な自然に囲まれた場所が。。。
ここは本当に大阪なのか?

五智光院 1187年後白川法皇時代に建立し1623年徳川秀忠により再建

五智光院の隣には極楽浄土の庭という名の日本庭園がありました。

本当にここは大阪か!?
大阪の皆様には大変失礼なのですが、大阪=ごちゃごちゃしていて自然がない というイメージを持っていたので、この日本庭園には驚きました。

自然に触れると嬉しくなります。四天王寺侮り難し。何回も来たいです。

奈良の東大寺のように、都が京都に移る前の寺は京都のに比べて大きい!
現代人が見てもすごいなぁと圧倒される。。。昔の人々はもっと衝撃を受けたに違いない。
四天王寺に於いては、人は木造の五重の塔を見てどうやって建てたのか不思議に思う
仏様とはすごい存在なんだ!あんな立派でしかも日常にはない朱色で塗られている。
感動して信仰する人々がたくさんいたんじゃないかな。

仏教の教えに従えば慎ましく生きることができる。
一方で信仰する人が増えれば寺はビジネスとして儲かるし、権力も集まってくる。
また人々を指導する立場の人にとっては、仏教の教えを盾に人々を自分の思う方向に動かすことができて都合が良い一面もあったのか。。。
な~んて。 一人で勝手にいろいろ考えてみたりしました。
四天王寺はまだまだ見るべきところがあって、もう一度来たい場所となりました。