幕末好きな方々のブログより勝手に影響を受け。。。
僕も幕末を知りたい!!! 笑
・・・ということで、
始めに寺田屋のある伏見にやってきました。笑
寺田屋とは坂本龍馬が襲撃されたことで有名な旅館。(この時、龍馬は逃げたので死んでいない)
今回はそもそも何故この伏見エリアが舞台となったのか?
を知ることができたのでブログにしてみました。
人いな~い 汗
駅から徒歩5分程で伏見港公園に到着
(人いな~い。。。寒)
伏見港
幕末までの主要な交通手段は船。
当時最大の交通機関でした。
当時の伏見港は水上交通の要地として人の行きかう場所。
大阪から京都に向かう時は、一度伏見港で船を乗り換える必要があったとのこと。
淀川三十石船(復元モニュメント)
船頭4名 客定員 35名
伏見~大阪天満迄 所要時間 上り 一日一夜 下り 半日
当時の船頭さん達はもの凄い重労働を強いられたと、側の説明板に書いてあり、
昔の人達の移動時間の長さと大変さを想像すると、現代に生まれて良かった。
京都に向かう人や大阪に向かう人々で賑わっていて
人や物だけでなく、色んな情報も行き来してた場所
そんな土地柄にある寺田屋は
薩摩藩御用達の旅館で、船を手配したり、客の伝言を受けたり、
京都の情勢を知らせる役目を担っていたとのこと。
なんかドキドキする。。。
江戸幕府を維持すべきと主張する人達(新選組含む)
VS
新しい体制をつくるべきと主張する人達(坂本龍馬含む)
が命を懸けて生きてた場所!!!
なんて。。。幕末が好きな人達は思いを巡らせるのかなぁ。
勝手ですが、少しだけ仲間に慣れた気がする。。。かな? 笑
そしてこの伏見港から高瀬川を通じて、
京都の中心部に多くの人達が向かって行ったんだ。
それにしても、
学生の頃に一時は寺田屋の近くに住んでいたのですが、
一度も寺田屋の前に来たことがありませんでした。