なにから始まったんだったか、本の要約をしているやつを聞いてて日記の(というか記録をつける)話が出てて特徴的だったのは、文法や言葉の正しさより自分の思考のまま紙に書き出すという感じの方法で。一番元のあるいは始まりの思考をそのまま誰か用に改変しないでそこに現す必要があるということだろうか。というところからだったと思う。それでいいんだ。って安心したんだけどふとそのままを現すところが必要ということは何かの(役割として)振る舞いをずっと続けているということかなという疑問に至る。
んで次、似たような苦しさの経験を持つ人の体験談を聞くというのも良いとかいうのを思い出す。
そこで思ったのは「推し」って同じことなんじゃないのかなって。アイドルとか応援している人たちも普段社会の人としてアイドルほどではないにせよ色んな道徳とか慣習とかをひたすら守って物事を荒立てないよう知恵とかユーモアとか忍耐とか使ってるしなって。そういう人達にはじない自分を日々積み重ねてるんだろうとか。ちょっと強引だよなってどっからそれが繋がったんか少し不思議ではあるけど、なぜ自分には信仰対象がいないのか少し分かった気がしてちょっぴり泣けた。