また失敗をしてまた何かをたえる
珍しく会話をした日にまるで抽象画を見ているみたいだったなと思い
私は歳をとり TPOなぞわきまえず好き勝手に言いながらも、ただ眺めているだけになりつつあるかもしれないなど考える。
眼前の絵がざわめきたってももはや絵と私の境界は揺るがない。そういうふうになっていくのだろうか。そうなったら楽になるだろうか。
イタクのオタクという言葉を思いついた日に、なぜかアルバイト募集中みたいなのを自己紹介に載せているお商売人がやってきたためうっかりとこの気軽な言葉遊びを公開できなくなったのでここをその墓場と定める。
うっかり風呂前に思いついたがためにその他
イタクのイタコだったりいとこのイタコだったりオタクのお宅などとどんどん何かが薄まっていく夜となった