ノート | 例えば「P」の話がいつか「Q」の話になり「Q」の話をしているうちに話題は「R」に移り「R」の話が途中から「S」の話になる、という現象を、延々と。

ノート

つながりは唯一、9年前の自分の筆跡で。


高校2年の担任で物理を教わった先生が8月、突然亡くなった。47歳だった。
会社の宿直を終えて朝、自宅に戻り、昼前の葬儀に参列した。暑い日だった。
私が会場に着いたときにはもう、会葬のホールは高校生や学校の先生方でいっぱいだった。
集まった参列者が会場に入りきらず、ロビーに急遽椅子が並べられた。
その椅子の一つに座り、遺影ではなくロビーに飾られた思い出写真を眺めながら弔辞を聞いた。


祖父の法事以来、葬儀や法事は、生きている人間が区切りをつけるためにやるものだと薄々感じていた。しかし、弔辞を聞いても、焼香を終えても、葬儀のあとも、まったく区切りはつけられなかった。

高校2年のときは、よく気にかけていただいた。夏に成績が落ち込んだときには励ましてもいただいた。
3年への進級時にご異動になった際、離任式後に少しお話する時間があった。
なりてがいなかった学級委員を引き受けたこともあって気にかけてもらってていたと、そのとき伺った。
先生のご異動は本当に残念でだった。それでも卒業してからまたお会いできると疑っていなかった。

先生が入院される前、検査で市内の病院を訪れた日、偶然私もその病院にいた。
整形外科の診察室前のロビーで、先生らしき後ろ姿を見かけていた。
2年前の春高バレーの県予選でも、おそらく監督かコーチとして来られた先生を見かけた
先生が勤めておられた高校にも仕事で行った。
仕事で気持ちに余裕がなかったとはいえ、どうしてそのときに、一言声をかけなかったのか。
特に病院のロビーでは、あんなに長かった待ち時間で、どうして声をかけなかったのか。
先生がその後すぐに入院されたことを考えると、なおさら機会を逸したことが残念だ。

後悔しているということすら今では伝えられないという事実が、本当にどうしようもない。

先生に教わった物理の授業のノートは、実家でそのままになっていた。
力学の運動方程式から始まって、ずいぶん几帳面な図解と文字が並んでおり、開いてはみたものの、後悔とどうしようもない思いが先立って、すぐに本棚に戻した。
当時から成績は悪かったが、物理自体は嫌いではなかったし、今でも興味だけはある。
社会に出ていろいろなものが見えるようになった今、先生と思い出話をしたかった。

学生時代から始めたブログを、自分の感情を吐き出す場にはするまいと、決めていた。
しかし、先生に声をかけなかった後悔がなかなか消えない。
同窓会を開いても先生にお会いできないというのが本当に残念で仕方ない。
卒業前に異動された先生のお写真は、アルバムにすら残っていない。
ただ、先生の授業のノートを、今はじっくり眺めることができないにしても、残しておくつもりでいる。
9年前の、高校時代の自分を介して、先生を偲ぶしかない。。


次回「アルバム」