年賀状 | 例えば「P」の話がいつか「Q」の話になり「Q」の話をしているうちに話題は「R」に移り「R」の話が途中から「S」の話になる、という現象を、延々と。

年賀状

毎年毎年、私の年賀状は凝っているんだか凝っていないんだかわからない。



 手間をかけている割には薄っぺらいのだ。


 記憶している限りでは、手書きのイラストをプリントゴッコで刷り始めたのが辰年、それから、下絵が手書きになったりイラスト集からの切り貼りになったりして今年、写真になった。実家に帰れずプリントゴッコが使えなかったためである。


 


 干支をあしらうにも近くに犬がいるわけでもないので、何か立体で犬でも作ろうと思って最初にワイヤーでつくり、それが今ひとつだったので紙粘土にした。都合4体作り(そのほかにゾウとペンギンも作った)細かいアラは見ないことにして写真を撮って、適当に編集して仕上げたのが下の写真である。


 文字が入れられなかったので、去年の年賀状の「賀正」のフォントをトレーシングペーパーで消しゴムに転写し、削ってハンコにした。所要時間約2時間、かなりアナログな2時間だ。パソコンを使う割りにあまりデジタルな感じがしない。自分が惰性でかけた手間を思うと、他に何かすることがあっただろうとも思う。


   


                        2006年年賀状


 


昨年の酉年の年賀状はもっとひどかった。葉書中央からやや上に枠で囲った「賀正」の文字と2005年の印、その下に私が5秒くらいで描いたニワトリをつけておしまいである。色は適当につけてプリントゴッコで印刷し、空いているところにメッセージを書いて出した。一目で私からの年賀状だとわかった友人もいた。密度がかなり小さく白っぽい年賀状になったが、要するに私はあんなイメージなのだな、と勉強になった。


 


 もらう方はそれほどたくさん届くわけではないけれど、面白いものがよくある。


 妹と連名で出したもの(画・文は私でなく身内による)を、文は妹が書いたものを文体など大筋で踏襲しつつ細かい内容を変えて、絵はそのままのレイアウトで新しい葉書に書き写した年賀状をくれた知人もいる。見た瞬間、投函したものが宛先不明とかで戻ってきたのかと思った。そうでなくても一瞬何が起こったかわからなかった。今では家族内で語り草になっている。



 自分の名前を書く方式の出席確認で代筆をしたことは何度もあるが、葉書のデザインならともかく名前レベルまで細かくなってしまうと難しくなる気がする。友人の字の癖を真似するにも、けっこう集中しなければならなかった覚えがある。


 父親の筆跡に似せて書いた「息子を休ませられたし」という文章を学校に持って行き授業をさぼった画家の実話があった。筆跡鑑定については知らないが、さすがにそこまではなかなかできない。




次回「筆跡」