この頃の日本は日中戦争から泥沼の世の中になります。
この頃の日本は天皇陛下を現人神と呼ばれ国民は国家神道を当たり前の様に信仰していました。
その上で、仏教がある感じですね。

で、宗教界も文部省の方針で同じ様なグループはみんなまとまれっていう方針を出します。
日蓮正宗は当時は小さな宗派でしたから、日蓮宗とまとまれと言われますが、これは何とか回避します。

で、次に日蓮正宗の総本山、大石寺に対しても、天照大神の神札を礼拝しろと、国から指示がきます。
日蓮正宗は神札は受けられません。
受けたら日興さんが身延山を離れた意味もなくなりますが、国には逆らえず、神札を受け取ります。
ここが所謂、大人の対応ですが、この神札を断固拒否し、今こそ国に法華経を信じさせれば、戦争にすら勝てる、即ち、天皇陛下を日蓮正宗の信仰をお持ちいただいチャンスだと言い出すのが牧口常三郎です。
結果、当時の旦那衆である創価教育学会の幹部は特高←特別高等警察?に捕まり、創価教育学会に所属していた信徒はやむたりして当時、3000世帯程度いた創価教育学会は壊滅します。
牧口常三郎は高齢で監獄内で死亡。
戸田城聖←牧口の弟子、経済界グループ。は1944年まで牢獄に入れられてしまいます。

そして、戦争が終わり、信教の自由が保障されると日蓮正宗の信徒であり、創価教育学会の戸田城聖が熱心な日蓮正宗の布教を始めます。
布教された人達は日蓮正宗の寺院に所属する信徒でありながら創価教育学会の発表会員となります。
さて、戦後、教育者に捉われずにという事から、教育を取り、創価学会として再スタートします。

これが創価学会と日蓮正宗の関係ですが、この後に更におかしな事件が起きます。

参考 日蓮正宗入門、学研 日蓮と日蓮宗
また日蓮正宗のHPなど。

因みに国の弾圧を受けた宗教団体は明治後は、大本と創価教育学会位ではないでしょうか?
大本の弾圧は比類なき弾圧ですが。

つづく