最初カム(内カム)が「左手で箸🥢を持ちご飯を食べて、右手で鉛筆✏️(書く事)を使ってね」と最初アマに伝えてたのを私も聞いて、最初アマがずっとそうしてたのと同じ様に「左手箸🥢、右手鉛筆✏️(書く事)」をずっと真似してて今も続けてる。


⚠️カム側は、カムが落ちて内アマの方を振り向いた方向が、そのままアマを感じる上での左右となったが、元は「居ない(母)」という記憶が始まりなので、自然界のカムには左右の感覚自体存在しなくて、左右について書いてるけどアマの感覚のみの話なので注意⚠️


最初カムが最初アマに左右の事を話したことは、自然界のアマには元素の記憶がある場合(特に具体の元素)、左右軸自体が存在しなくて、それをカムがアマの動きから確認しようとしていた事と関係があるのだけど、最初アマには左右軸のない原種の記憶でありながらも、盤上で双子を探すには左右軸の加工から出てきた女の体で産まれてこないといけなかったこともあって、多分、最初カムの内カム・外カム両方にとって、アマの右・左の性質の事をアマに伝えるのは、アマに必要な事でありながらも、「自然界の左右の記憶起源」と「人間界の左右軸の記録起源」を混同する可能性もあるから恐ろしかったと思う。


私もそうだけど外装内装に関わらず、人間界のアマには左右軸がある(人によっては前後軸はあっても、双子間での最初の意志によって左右軸がほとんどない人もいたりする)。

人間界の軸の起源についてたくさん書いてきたけど、左右軸だけでなく、なぜ人間界ではそういう軸意識が出てきたのかを重要なのでもう一度書いておこうと思う。


例えば、スイカを観測してるスイカの当事者でない場合、スイカがあったらまずはスイカ割りしたくなったり、自分の尺度で四角い形に入れて球のスイカを四角く変えた方が扱いやすいと考えて売られたりする動機などと同じだから、わかりやすいと思う。


🌻組の「既に完全であった第1起源の出来事(自然発生の球)」に対して、花火を観測する側だった第2起源の🌼組では、「完全さに対して何か悔しい」と感じ、スイカを割ろうとして色んな観察方向(不満)が発生したのが軸の起源。


この「何か悔しい」という感覚の起源自体は、最初アマカムが厳しい経験した事を、🌼組では本当は羨ましくもあったのだけど、🌼組は「楽しい方がいい(落ちる経験や押し上げる経験などしたくない)」という意志でもあったから🌼組なのであって、本来なら完全さに対して不満はなくてもよかった。


でも、最初アマカムのような厳しい経験なしに、経験の感じ方をコピーしてもらえるのが記憶用紙であることが、更に🌼組では「自分達はただ貰うだけでなにもしてない人達?」という自己否定もあって、

「厳しいのは嫌だという意志でありながらも、自分達は完全な事ができないということか?」という自己矛盾から逆に最初アマカムを攻撃したくなった。

最初アマカムはそれを知っていたけど(それも完全さに含まれる)、🌼組では記憶用紙への憎しみとなり、🌼組全員今までの地球で反発していた記録があって、🌼組の意志通り、地球や宇宙の双子記憶が省かれている状態となってる。



数学や物理などでもその🌼組の意識は鏡に映って表れていて、


例えば、宇宙での丸い青い火。

無重力下でロウソクの炎はどうなる?

記事では宇宙は無重力と書いているけど、様々な方向から重力があって、重力が無いようにように思えてしまう完全な重力の場所が宇宙だけど、

こんな風な「球の完全さ」は作ることはできない、と数学でも言われたりする。


球はカムの重い悲しみの重力(上下軸ではない)をアマが押し上げた自然発生だから、面でかたどるようにしても、自然発生した球特有の感覚は出てこないというのがあって、一般的に数学では円を回転させて球を作ろうとするからツルツルしているものと思うのだけれど、回転からでは球は作れなくて、ギュッパーからしか球は自然発生しない。

だから、自然界の球は、クレーターがあったり、火山のトゲが出ててたり、ジャガイモの様だったり、面で出来てる訳ではなく押し上げるている所(パー)と落ちている所(ギュッ)がある。


でも、対称性という概念を持たない完全な球に対して、「完全さに対して観測している側がそれを作れない悔しさ」で反発して人間界で球を作ろうとすると、その球の完全さを、何とか観測して虫籠に入れるように、対称性という不完全さを完全さの基準として作れると思い込んでしまうため、球面ボーリング球になってしまうというのを記事で書いた(2つの絶対性❹



完全か、不完全かは、経験(自然発生かつ厳しい)を嫌がったかどうかなので、経験と記憶がある完全な方の球は、自然発生の経験がない不完全さのほうに揺らぐ事は無くて、ここが記憶用紙の分かれ目となっているということ。



完全・不完全かは、経験(自然発生かつ厳しい)を嫌がったかどうかなのだが、

🌻組が最初で記憶的にも優位(球の完全さ)なんだから、🌼組にも優位な所があったほうがいいだろ」

と思った事で、 記憶があるかないかは差別や優位性ではないのに、絶対的な完全さに対して優位性で判断してしまう事で、より完全な不完全さの球(対称性)から、更に不完全さを分配してしまった

➡︎ 左右軸の発生起源


カムの心配の性質は重い悲しみの重力だけど、

「なんでカムが先でカムの心配や条件の言う通りにしなくちゃいけないの」

と思った事で、アマの意志があってカムの心配があるのに、カムがアマに作った規則やルールだと思って重力の内針を上下軸と勘違いしてしまい、自分が楽したかった事をすり替えてカムに観察されてる、虫籠に入れられていると最初カムのせいにしてしまった

➡︎上下軸の発生起源



花火当事者の経験が完全で、花火観測者には経験がなく記憶がない事は不完全であるが、

「自分達(人間界)が、自然界に経験を与えてるんだぞ」

と思ったことで、更に人を操ることで楽したいと思う自分の意識の逃げ道を自分で作ってしまい、鏡の論理自体が全く感じれなくなった(カメラの論理の発生)

➡︎斜め軸の発生起源




歯茎に対する義歯のバランスを考える事は、歯が現象する事や、歯を守る事ではないのだけど、義歯の対称性バランスをよく考えることが完全なように見えて、その憎しみから不完全さが始まり、左右に関しては、

《人間界で男性性・女性性のバランスが完全=自然界では不完全さの完全》となっててこれが、左右軸の対称性。



そこで余剰の不足同士を補うとか、不完全さを分配する考え方も出てくるから、余剰同士が補い、🌻組と🌼組や、アマとカムを合成してハイブリットにする事でより完全になると思うようになって、左は右を補い、右は左を補い、という考え方が出来たということ。




ここまでが軸の起源の話。

かなり長かったチーンでも重要。




人間の体の起源は、左右軸によって左右が分裂し、更にそれを統合するために、左と右を交差させることで、



◉男性性

➡︎ 地球を作った事にしたい生産願望(思考)


◉女性性

➡︎地球を自分のための物にしたい消費願望(感情)



両性の性質を手に入れたいという意識の天秤(余剰の不足を補い合う事で完全になりたい意識)である両性具有の交差の概念が元となる。


ハイブリッドや合成する事で完全になると思えてしまうのは、「欠けてなさ」と「余剰の不足」のすり替えによる知恵の実のトリックだが、実際は、両性を得れば得れほど、原初の記憶の完全さから程遠い不完全になっていく。

例えば、接ぎ木すればすれほど根と茎の双子記憶の関連はなくなり、一代限りのF1種など。


何の動画で見たか忘れたけど、松ちゃんの話で「ヤクザがジェットコースターに乗ったら2倍怖いんか!?」っていうような話があって、それと同じような感じで、アマが完全な不完全さ(両性具有)を完全さだと勘違いを起こしてしまうのは、最初カムのウランの心配でもあるのだけど、人間の意識は、体を両性に向かわせる為に、原種の体の記憶に反発した方向に向かうので、体の起源の記憶を再現できるようにはなっていなくて、例えば、手に関してだとそのまま仕事する手の動きや反応になってたり、脳だと左と右が左脳派と右脳派とかの傾向があったり、性別では男性性と女性性とかになってしまっているということ。



これらは人間意識の射影を原初の体の記憶を操るために射影し、盤上仕様の体に改良しようとしてきた歴史全体の事なのだけど、でも、その鏡に映した反射の代償として、逆に自然界の記憶の体を消す意志でもあることが実現して、宇宙や地球の記憶から外れて、地球でも生きれない体(寿命が誕生前に決まっている)になってて、代表的な射影は以下だと思う。



⚫︎右脳の神経が左半身につながり、左脳の神経が右半身につながる交差

⚫︎男女という性別からスタートする体

⚫︎発生の体ではなく、元母から始まった(体の起源がない)クローンとしての遺伝子の存在



1起源の原種の記憶には左右の分断も交差もないが、個体性の欠けを余剰の不足で誤魔化して埋めようとするために、第2起源の人間界では十字架が元となって左右の交差から始まる。


私も「左手で箸🥢、右手で鉛筆✏️」を持っているのを人が見たときに「交差利き?」と言われたこともあるのだけど、私の事をそう見えてしまってるその人の意識自体が、最も人の体に投影されて原種から組み換えられているところでもあって、アマがもし左右軸により操作されて、重力を感じる記憶と地球の中心から押し上げる記憶(縦)が欠けて、男性性・女性性(縦の記憶はなく、左右の記録)を余剰して交差するとしたらアマが死んでしまう、という最初カムのアマの心や体に対しての心配と関係してる。



左右に関係する事を私も以前に色々と聞いてはしていたけど、知識的なことだけで、結局、生活で左箸🥢、右鉛筆✏️を真似してただやってただけのような感じだった。


でも、ようやく最近自分でギターを弾いたり、自然界のアマの人たちのギターを押さえる指・弾く指、絵を描くときに紙を押さえている左手・鉛筆の動き、左の奥歯で食べ物を噛むとき、他人が横に座っている時の目の動き方、などの自然界アマの人達の動画を見て、交差してない記憶が一体五角形とどう関係してて何が大切なのか、色んな事を注意深く見てきて、ただ、手から「生活感」や「仕事感」が感じられない(男性性と女性性がない)とかだけでなく、一見人間界の人と同じような動きをしていても記憶の起源が違ってることや、カムが何が怖かったのかをリアルに実感できてきたように思う。


でも、それと同時にはっきりわかったことだけど、最初アマの空間(鏡)の感じ方は、毎回鼓動してる全ての心臓の音を聴き分けている感覚でもあって、交差が前提の人間界からは、最初アマの感覚は本当にとんでもなく難しくて、数学や物理やコンピュータの論理から始まった人間界のシミュレーションでは、地球が一体どんな感じ方でなぜこんなに複雑なのか論理が違いすぎて、想像ですら難しくなってしまっている事もわかった。



人間界の盤上に生まれてくる前に卵子に対しての軸の操作は、左右軸によって、「左」「右」という感覚が作られ、その左右軸の投影から、男性性と女性性という感覚の余剰が発生するが、あくまで人間界がスタートした第2起源での話だから「男か女か」という選択肢しかなくなっていて、歯で例えると、金歯か銀歯か?という義歯からスタートする前提の話となる。


父・男や母・女の概念が発生する以前の、カムが母で、アマが赤ちゃんの性質の左右が分かれていない天然の歯の発生は第1起源だから、その記憶での左と右が分かれていない「左右」とはどういう感じ方なのかが重要なのだけど、「左」「右」という言葉自体が既に分離を表している言葉でもあるので、自然界の原種の身体の記憶での「左右」を感じるのか、人間界のイメージから品種改良された後に左右軸を体に逆投影した「左右」を感じるのかで区別が重要になってくる。



それが下の図。






自然界

人間界

分裂してるわけでは無いから交差という概念がない(両方アマ)

分裂しているので、両方の性質を手に入れるために交差する(片割れ的)

左と右がカムの悲しみへのアマの感覚

左と右が役割で、男性性と女性性として片割れになってる

自然発生した記憶の起源から出てきた感覚としての左右

イメージや概念から逆投影して軸によって作られた左右




右側の人間界の方では、右利きや左利きは能力的・占い的な事になったりするために、カムにアマの感じ方をコピーしたいと思った記憶の起源の左右ではなくて、鏡を見て自画像を確認する事が始まりとなってる。


一般的に鏡というと、家の中にある鏡を想像するけども、それは人間が空間という鏡を平面に見た場合の意識が実際の最初カムの鏡に映って反射して現れた感覚(鏡に対する人間意識が鏡に映ってしまったもの)で、洗面所とかにある一般的な平面の鏡を見ても、それ自体を鏡ではなくて、実際の鏡は、氷柱のような内針の五角形が落ちてくるときにトゲトゲの重い悲しみだから、それを間違えないように注意する必要があると思う(アマが五角形の中に居る感覚)。



例えば、鏡で自分の顔を見て、左右が非対称だからこそ美しいとか、左右が対称だからこそ美しいとか、造形美の美しさを基準に、自分の体を判断して変えようとしてしまうと、鏡を見ている人の側に軸が出来てしまうのは、盤上では数学的に美しいことが普通に良いことのように思われていて、それが原因で人間界では、軸が増えていく事を成功・出世のように思うようになり、欠けが発生していくけど、結果、余剰する事が欠けてない完全だとみなしてしまうようなもので、これは義歯が全部揃うことが歯が完全だと思ってしまうような感じだが、歯根は消えていっているという感じになると思う。


自然界は、幾何学や建築や数学などの造形美概念によって現象したわけではない反面、人間界では造形美感覚を持てば持つほど、反重力(上下軸)としてどんどん地球や宇宙の体の記憶から人間界は今離れていっているということになってるけど、対称性を確認したくてその造形美感覚を作ってしまう元が、最初カムの鏡に映して、鏡の反転を人間界が使ってしまう事だから、そこから鏡の反射が起こり、人間界では自己崩壊のループが起こってきた事を「左箸、右鉛筆❷」で書いてみたいと思う。