ドメスティックバイオレンスとmental illness | I Will Never stop fighting

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海外生活15年。え?カッコいいなんて程遠いです摂食障害になったり、育児鬱になったり、夫婦関係悪くなったり、偏頭痛に苦しめられたり 経験を通してシェアしたい事を勝手に書いてます

2か月前に母親から連絡がありました。

「家を出たの。」

母が家を出たのはこれが初めてではありません。3年前に、父が母に激怒し、ベルトで何度も叩き、怒りがピークに達した父は、母の顔を湯船に突っ込み窒息させようとしたようです。その時母は 「自分は死ぬんだな」、と確信したと言いました。

当時一緒に住んでいた 3男に止められて 父は正気に戻り、「その時に(母を)殺していたら子ども達や 孫が 、犯罪者の父(又は祖父)を持つことになって気の毒だ。」 と反省したといいましたが、 当時 乳児を抱えていた自分は 帰国して母をサポートすることはできず、歯がゆい思いでした。助けたいのに助けられないこと、父親への怒りで、 情緒不安定にもなりました。

今回の件のことを知らされ 以前よりも自分は地に足がついていたので、母の精神的なサポートを毎日電話やメールをとうしてしていましたが、
気づいたら
母親のカウンセラーもどきをしている自分に気づきました。

母親から聞かされる「妊娠中の暴力」「両極性のある 理解不可能な態度」「怒るとスイッチが入り殺意にも豹変してしまう」 数々のエピソードを聞いていると、十代の頃に 母と父が 毎日のように喧嘩し 父が 包丁を手にとって 母を殺してやると叫んでいたことが フラッシュバックとなって戻ってきてしまったのです....
今まで一度も父は 自身の行動を家庭内暴力とは認知しようとはしませんでした。でも、

「これはどうしても 父にひとこといわなければ」

と、メールをとうして 恐る恐る、父の母に対する暴力と殺意、その日々の繰り返しが 私にとって辛く逃げ場のない思いだったこと、喧嘩と叫び声を聞くことが辛くてリストカットを始めたこと、リストカットの行為が 自分の心の痛みを代償して 解放してくれたけれど それはテンポラリーであったこと、大好きな父がなぜ 豹変してしまうのか理解できないこと。
暴力を認知してほしい。と懇願しました。

3日後に 父の返信がありました。

「辛い思いをさせたことは申し訳ないと思っている。 お母さんとは即離婚していればよかった。でも離婚していたら子供たちは存在しなかったろうから.....」 

正直 がっかりしてしまいました。
離婚すればいい、ということではなく 暴力について
私は気付いてほしかったのに.... 無力さと歯がゆさで、再び滅多打ちにされました。完敗です。
摂食障害の特徴なのでしょうか、物事の良し悪しをWHITE OR BLACK で見てしまう。
だから、両親の失態、問題未解決 イコール 「自分は無力」「ばか」「生きている意味なし」と 解釈してしまうのです。

3ヶ月たったいまも、心にぽっかりと空いた穴と向き合っています。フラッシュバックの夢も見ます。でも 何にもしないとゾンビ見たいになって、子どもたちを 心配させてしまうので、走ったり、空手の稽古に行ったり こまめに掃除をしたり 工夫していますが、今週は毎日続く悪夢で メンタルが落ちています。。

過食嘔吐は 一時 かなり酷くなってしまい、口にいれた瞬間に「過食スイッチ」が入ってしまう状態でした。

「食べることで 本来出したい 感情を押さえきって我慢しいる。」というかつてのカウンセラーの言葉を思いだし またカウンセリングに戻ってから 少し症状はよくなりました。

家庭内暴力と摂食障害が 常にリンクしているとは思いませんが、悪化させる要点にはなっていると感じました。深い部分の悲しみ。その感情を
 食べることでなく 上手く口に出したり クリエイティブに表現できるようになったらいいなと。。。

ブログは その点では 一種のセラピーの役割となっているのかもしれません。

今回の件で一つ勉強になったのは

全ての感情はマル。でも。私は
悲しみ、怒り、失望、その感情を素直に受け入れるのは苦手。 小さい頃から常に笑っていなさいと言われたから。
ブスッとふてくされたり 泣いたりしたら おしりペンペンされたから。。。

摂食障害と向き合うことは 自分の 辛い感情に優しく向き合ってあげることが始めの一歩なのかもしれませんね。。

長々とスミマセン‼️