白洲次郎の生き方! | さすらいの武士

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戦前·終戦·戦後を逞しく生き抜き、マッカーサー元帥からあの吉田茂総理と共に「従順ならざる日本人」と呼ばれた白洲次郎氏をご存知でしょうか?

バカヤロー総裁と呼ばれた吉田首相のブレインとして高圧的な態度のGHQに対して一歩も引かず、敗戦国民と言えど奴隷ではないと主張した逸物です!
スラッとした175cmの長身でしたが、そのダンディーなスーツの着こなしから周囲の方々からは185cmくらいはあると思われていたようです(^o^)
マッカーサー元帥が昭和天皇と面会した際に、陛下から元帥にクリスマスプレゼントが贈られましたが元帥は適当に放っておくよう部下に指示しました。
陛下の悲しむ顔を見た白洲次郎は「お上に対し無礼であろう!」と激怒し非礼を改めさせました。
英米人でも舌を巻くような流暢な英語を話した白洲は政治・経済にも明るく、何よりも持ち前の強圧的な論調で最初から会話の主導権を握っていました!
彼が残した名言集 


は現代を生きる我々に、厳しい教訓を与えていると私は思ってます(^o^)
まさに逸物か怪物の名が相応しい白洲次郎氏は、その交友関係も多岐に及び世界のファッションをリードした三宅一生も彼の親友の一人でした。
愛妻の正子さんと共に三宅が主催したファッションショーではモデルも務め、その完璧な着こなしで並み居るプロモデルをも圧倒したそうです(^_^;)
彼の邸宅は現在の東京都町田市に残されておりその名を武相荘と申します、武蔵の国と相模の国の境界にあったからですが、このネーミングは明らかに彼のニヒリズムで「無愛想」にかけていますね(^_^;)
西洋をこよなく愛しながら日ノ本の國體にも拘り抜いた粋な男前、白洲次郎こそダンディズムの極致!
戦後を生き抜いた愛すべきジゴロでしょう。