…承前…

 

 

 

昔日の人は、「菩提を弔って」出家して、勿論在家のママでも良いが、心の平安を保って生きたのではなかろうか。

 

今も戦乱が世界中で絶えないが、昔は今より余程酷かったように歴史家は書いているし、飢餓疾病は今の比じゃない、本邦にペストが大流行した事は無いが、ユーラシアの西半分では何回も大流行して人口が激減した。

 

 

栄華を誇った平家一門も壇ノ浦で滅んで、生き残った兵は戦場や都で処刑された。後で知った嘗ての奥様方の1人は、例えば「建礼門院右京大夫集」を遺し、定家卿がそれを後世に伝えて、和歌が幾つも勅撰和歌集に載って、日記も伝承されて、現代の我々が、先祖の思いを感じる事が出来る。

中には、名前が変だろうと言う方も居るかも知れないが、当

時の習慣で有る。

良い歌が沢山有るのを知った定家卿はつてを以て「建礼門院右京大夫集」を入手した。選して勅撰和歌集に載せる時に、丁寧な文を送って、ご芳名はいかがしますかと尋ねている。その回答が、「建礼門院右京大夫」である。宮中に女房として二度仕えたが、若い時の呼び名である、藤原伊行女。因みに建礼門院は平徳子、高倉天皇の中宮(皇后)、その父は平清盛。