震災や大事故では、心のケアも大切と言う事で、昨今はカウンセラーと言う方が派遣されている様だが、実は実物は一回も見た事が無い。カウンセラーについてはネット上での知識しかないので、ココでは考慮しない(笑い)

 

我々には、「自然の慈悲」と言うモノが有って、各種酷い体験でもヒトによりけりは勿論だが、時間が経てば忘れることが多い。又幸福感不幸感と言うモノは、何か良い事が有ったり、悪い事が有ったりすれば、上がったり下がったりするのは当然だが、どちらもその経験にもよるが、数年経てば、幸福感は下がると言うか元に戻るらしい。不幸についても同じことが起きるらしい。常に心に在ればその限りでもない様だが…

 

又、思い出の6:3:1という法則が有るらしい。

 

どんな環境・境遇の人も色々な世代で調べても、

楽しい思い出が6

中間的な思い出が3

辛い思い出が1

だそうである。

 

きっとこれも「自然の慈悲」なのだろう。

勿論、例外は世の常。

 

と言う事は、

 

大震災や大事故・戦災などで、酷い経験をしていわゆる「トラウマ」が出来て云々、というのを否定するわけではないが、外から働きかけて、記憶を変に強化しなければ、少しずつ影響は薄れてくのじゃなかろうか。

和歌には、小倉百人一首にもそう言う歌が幾つかある。

 

又、逆かも知れないが、子供を失くしたり、恋人や配偶者を失くしたりした人が、そこで色んな事が止まる訳ではなく、「失くした子の年を数えて」色んな幻想の思い出が記憶されて行く事も有るのではないか。何となく理屈的には、現実逃避で妄想の中に生きる見たいに感じる人も居るかも知れないが、その人の心の中では、偶には現実との差で愕然とすることが有っても、又その物語を作りながら、一種の感覚が出て来て、思い出の6には加わりはしないだろうけれど、やや類似した方に行く事も有るのではないだろうか。

 

記憶と言うモノはPCのHDに有るようなものではなく、ヒトの場合は、その度に生成されるものらしいから、曖昧になるし、事実とも違う様にも成って、偽の過去も出来るが、ヒトが生きるための力にもなるのじゃなかろうかとも、思って居る。

 

 

 

…つづく…