小さな食堂で、暇な時、お客が食事中に店主が「親切心で」楽器を演奏してくれるのをテレビで紹介されたが…多分自分は不意に遣られたら、普通に食べてから普通に愛想をして、勘定を払って2度と行かない(笑い)、これは善意から出た行いだろうが、我が趣味じゃないので~生物多様性。

 

 

「悪名」

迷○系ユーチューバーが東大の学食に行って「出禁」になるとか…

「私人逮捕系」とか言うユーチューバーは、正義を実行しているらしいが、思い上がりの単なるバ〇(笑い)。

それに偶々事故現場に居合わせて、救護も通報もしないで、スマホで動画撮影してSNSに投稿する人も結構いるらしい。

野次馬系・目立ちたがり系とでも言うのか、スマホが無ければ単なるヤジ馬だろうけれど、馬シカに成った(笑い)

といっても、

大部分の人は、そんな事がいつか自分に降りかかる事が一瞬で脳裏に浮かび、内気で救護まではしなくとも、SNSに投稿しようと言う意欲は湧かないだろうけれど…スマホと言うのは「新事象」で、SNS投稿は「無料」で承認要求を満たせそうだから、咄嗟に遣ってしまって、後悔って事も有りそうな気もするが、「風潮」と言うのは難しいモノなのだろう。

 

 

「名誉」

主に江戸時代に筆子塚と言うモノが作られていた。「寺子屋≒筆学所(ヒツガクショ、と読む様だ、「生徒は筆子」(フデコと読む)」の教え子が亡き師匠を偲んで作った供養塔≒墓である。確か夏目漱石の娘さんに「筆子」と名付けられた人が居た様だが、誰かが、「字が上手ければそれで良い」と漱石が言ったと記録されている気がするけれど、漱石一流の遠慮で「生徒は筆子」と関連している気がする。文部省から文学博士号を授与すると内示が有った時に断ったぐらいだから。深い考えが有ったに違いない。

 

山縣有朋は児玉源太郎の急逝を受け、乃木希典を後任の参謀総長にと内奏したが、天皇は皇孫(後の昭和天皇)が入学すると言う事で、認可せず学習院長に指名した。通常はそこで予備役編入となるが現役のままだった。何度か元帥府に列すると言う打診があったようだが、乃木は固辞して(ここでは理由の推定はしない)後に明治天皇崩御の時に殉死した。

 

 

「無名」

1995年(平成7年)1月17日早朝、阪神淡路大震災が起きた。その年は、前年から忙しくて、2月初旬に最初の出張が有り、後日、その「工事」を知ったのだが…

 

抜粋:-

『1995年阪神淡路大震災:-

この時阪神高速神戸線は文字通り倒壊した。直後から復旧工事が始まった。この時、高速道路数十km全線に クレーンや重機が数百台、びっしりと取り付き24時間体制で工事をしていた。おそらくは全国から重機と作業員が動員され、密接に連携しながらの作業だった。

私は夜のニュース番組で観ていました。延々と遙か遠くまで、作業ライトが煌々と灯り重機が稼働していた。アナウンサーが"物凄い光景ですね"と言うと解説の専門家が"これが日本の底力です"と語った。』

 

…この作業員たちは無口であるが、大御宝(おおみたから)で正に宝である…

 

 

不運な事に、その時の首相は凡庸な政治家だった。平時はそれでも良いが、危機には権力を発揮した大道が出来ない。

今、国会は(各段階の地方の首長も同じだが)ゲームの様相を呈している。野党は些事で道学者宜しく論い追及して、与党の本来業務を妨害しているが、政策・法案に対して提案の能力は無い。

危機は何時発生するか誰も分からない。首相やその他の首長・責任者を選ぶときは、成り行きや或る種の「力学」で選ばず、その場に居る「最適・最高」と思われる指導者を選ぶべく、選挙人も真剣に投票行動を執った方が良い。勿論一旦選んだら、信じて協力したらよい。

 

一時の興奮・歓喜に流されて口だけの次善・有象無象を選べば、臍を噛むのは国民だ。それ位の覚悟を持った方が良い。機会は再び来たらず。