世の中にはいろんな方が居るけれども…

 

印象操作が可能な事柄では遣り放題。品も風格も有りはしないが、そう言う事は気にしない人々だから、言っても無駄、そんな偏向報道で失敗しても失うものは、信頼とか名誉とか矜持とか言うモノであろうが、彼らはそんな事に価値を見出してはいないので、論うのは激励みたいなもの⁉

強権発動はしない自由主義の大きな特徴の一つである社会では打つ手がない😂時々、悪魔の証明まで平気で要求する(笑い)

 

 

科学現象は、切り貼りしても、再現性の問題で、この手は使えない。

暫く前に何かの誤解が在った見たいでご本人にもお気の毒であったが、その周辺の方々には、その何倍ものお気の毒なことが有った。その後、ご本人は比較的早く立ち直って、パティシエとなった様だった。

 

文系と理系は截然と分けられないモノであろうけれど、中間的な事柄は結構多い気がする、実験とか観察とかできそうで、できそうじゃない事は多い。一例だけ挙げれば、昔宇宙は閉鎖している≒有限である、と言っていたが、現在は開放している≒無限である、になっている様だが、どっちでも今の所、我ら衆生には何の影響も無さそう。

 

 

人は多様で、如何言う運命が待っているかは、誰にも分からないけれど、あざとい事をする運命に立ち至った人には、実は同情している。

マスコミや学者・政治家にそう言う方が居て、「偏向」して、晩年、ハタと気付いたとすれば、どんな思いで渡し守に六文銭を渡すのだろうか?

 

 

それとは反対に見えるが、大東亜戦争終戦前夜の御前会議の首相、海軍大臣、陸軍大臣を始め、すべてが、「社稷の為ならば、その身を顧みず」と見えた。

 

 

海軍大臣と陸大臣の墓所には参ったことが有るが、そんな遠くでも無いので、首相の墓所に今年行ってみよう、と思って居る。墓所に参ると色んな事が思われる。