第90回東京箱根間往復大学駅伝競走!!


箱根駅伝特集!!


このコーナーも最終区!!


今日ご紹介させていただくのは・・・


10区23.1km(鶴見~大手町)


第75回大会から日本橋を回るコースに変更され、往路より1.7km長くなりました。

平坦なコースですが、後半はビル風に苦しめられることも。

長丁場なため最後の最後まで目が離せず、特にシード権争いは毎年熾烈を極めています!!


というわけで、今日も過去の箱根駅伝10区で個人的にインパクトのあったシーンを勝手にランキング♪

ベスト3を発表させていただきます(・∀・)

※(  )内は当時の大学と学年です




☆第3位☆

第87回大会 早稲田大学vs東洋大学


往路優勝の東洋大学を6区で逆転した早稲田大学が首位を走りますが、8区・9区・10区で東洋大が3区間連続の区間賞で猛追した最後の最後まで目が離せない壮絶な優勝争いでした!!

40秒差で襷を受けた山本憲二選手(東洋大学3年)がトップの中島賢士選手(早稲田大学4年)を猛烈に追い上げましたが、21秒届かず!

早稲田大学は大会新記録(当時)で総合優勝を果たし、出雲、全日本、箱根の三冠達成!!!

21秒差で敗れた東洋大学は翌年大幅に大会記録を更新して箱根駅伝で総合優勝を果たしました!!!




☆第2位☆

第87回大会 4チームのラスト勝負


ラスト1kmを切っても8位から11位までひとかたまり。4チームのうち1チームがシード落ちという、アンカーの選手にとってはこのうえないプレッシャーの中、ラスト勝負となりました!

谷永雄一選手(日本体育大学2年)

小林駿祐選手(青山学院大学4年)

寺田夏生選手(国学院大学1年)

甲岡昌吾選手(城西大学4年)


今でも箱根駅伝の紹介VTRではたびたび映し出される衝撃的な映像!!


寺田選手がコースを間違えた(^_^;)


中継車についていってしまった寺田選手・・・


他の3人はゴールに向かってまっしぐら・・・


これでシードを取れなかったら1年生の寺田選手はどんな顔でフィニッシュするのか!と思いきや


甲岡選手をかわして、10位でギリギリ、シード権を獲得!!


8位の選手よりも9位の選手よりも11位の選手よりもインパクトが大きく、一気に名前と顔を覚えてもらえましたね(^o^;)笑


寺田選手は今年4年生、最後の箱根は走りの方で湧かせてくれるのでしょうか!?




☆第1位☆

第83大会 治郎丸健一選手(駒澤大学4年)の激走&大八木監督の人情


記録の面で言えば、区間5位 1時間11分57秒。7位で襷を受けて7位でフィニッシュ。

ですが、記憶に残る激走でした。そして大八木監督の温かさを感じました。


最初で最後の箱根駅伝となった治郎丸選手。7位で襷を受けてスタート。後方から亜細亜大学、中央大学、専修大学が追い付いてきて7位から10位まで集団となりました。

このとき、自分は運営管理車に乗っていて、祈る思いで沿道の部員に連絡したり、車の中から治郎丸選手に声援を送っていました。すぐ左隣に大八木監督が座っているのに、大声で「治郎丸~!!」と叫んでいました。笑

後方からは11位城西大学もせまってきている中、治郎丸選手がラスト5kmで猛然とスパート!

大歓声の沿道からコーチや部員が声援を送っているのが何度も見えて目頭が熱くなりました。


相変わらず車内をバシバシ叩きながら「いけ!治郎丸!」と叫んでいたら、大八木監督が「お前が指示を出していいぞ」と言って監督が選手に指示を出す用のマイクを手渡して下さいました。

いつも叱られてばかりで恐いイメージの大八木監督ですが、時々優しくて(笑)本当に人情深くて熱い方なんです!


フィニッシュ目前、実況のアナウンサーの方が「治郎丸が泣いています!」という実況で多くの方の記憶に残る激走となりました!その後、治郎丸選手は地元鳥取県の市長さんからも「感動しました」と握手されたとか!


さて、本当に泣いていたのか、汗をぬぐっただけなのかは、謎に包まれたまま・・・笑




というわけで、1区から10区まで箱根駅伝特集おつきあいいただきましてありがとうございました!!!


なかなか文章がまとまらなかったり、個人的インパクト・ベスト3ではマニアックなシーンが好きだったりで・・・


来年1月2日、3日で第90回大会となる箱根駅伝!!


箱根から世界へ羽ばたく選手


学生で競技を終える選手


裏方として箱根に携わっている学生


そしてたくさんの卒業生や全国の駅伝ファンの皆様


学生スポーツにスポットを当てて中継・取材して下さるマスコミ関係の皆様


本当に多くの方のご尽力で続いている大会だと思います。


自分も学生時代に貴重な経験をさせていただきましたし、今でも毎年沿道やフィニッシュ地点に行ったり、自分にとっても1年で最大の行事となっています。


これからも日本に誇れる素晴らしい大会として、第100回大会、150回大会、200回大会と続いていってほしいですね!!!!!