2007-6-30

 身体化された知識の形成には労力と時間を要するものだが、その進歩の速度は人によってかなりの差がある。この差をもたらす要因の一つに感情の働きがある のではないだろうか。昔の切り抜きを整理していたら、二つの興味深い記事を見つけたので、これに触発されて少し考えてみた。

 一つは、丸 山健二と久野収の対談における丸山の発言。関心を引いた発言を少し要約して引用すると以下のようになる。「肉体は精神を閉じこめておくガラクタ箱ではな い」「言葉を使って踏み込んでいけない世界がある。言葉で表現できない充実感や感動がある」(丸山、『週刊現代』1979年2月28日号)。
 もう一つは、同年3月6日 の日本経済新聞の金田武明「グリーンサロン」で、その要旨は以下の通り。「運動神経や勘は潜在意識の働きである場合が多い。問題は身に付けようとする知識 をどうやって潜在意識に移入するかということである。「読書百遍意おのずから通ず」というやり方でこれが可能になるのだろうか。ひとつのことをひたすらに 繰り返すだけで身に付けることが出来るのだろうか。否、機械的な反復だけでは難しい。そこに感情の起伏がないと百遍読んでも効果は薄い。勉強でもスポーツ でも、何かを身に付けようとする過程においては、人為的にでも、ポジティブな興奮や感動を作り出す工夫が大切である」。

 小生が部長を務 める早稲田大学ウェイトリフティング部の女子は現在、全日本大学対抗戦で2連覇中だ。世界代表になる選手もいる。この部員達は男子の倍くらい練習するが、 強い選手ほど練習の時によく泣く。それも苦しいから泣くのではなく思うように重量が挙がらないから泣くのである。そのかわりうまく挙がった時は飛び上がっ て喜ぶ。全体としての練習スケジュールは堅実に冷静にこなしているが、一回一回の挙上においては喜怒哀楽が激しいのである。そして大事な試合では練習時を 大幅に上回る重い重量に成功する。大会新や日本新を出すこともある。むろんここでも泣き笑いが付き物だ。こうして喜怒哀楽の月日の中で記録は大幅に伸びて いく。

 彼女達からは、指導者として選手達の練習を「見守る」ことの重要性を再確認させてもらった。指導においては、細かいテクニックや 集中の仕方、そして体調管理などについてアドバイスすることはあるが、これらは短期的にはそれほど重要なことではないような気がする。自分が言ったことを 相手がどう受け止めているかは分からないからである。何気なく言っているその時その時のアドバイスは、むしろ聞いた本人が5年後10年度にふと思い出し て、ボディブローのように効いてくるようなものかもしれない。一番重要なことは、選手が上手にバーベルを挙上した時や記録を出した時に共に喜ぶことであ る。自分の練習を他人が注視してくれていて、うまくいった時には共に喜んでくれることで選手はその重量、その挙げ方をより確かに身に付けていくのである。 小さな成功の喜びを重ねていくと身心の中に何かが蓄積される速度が速まるようだ。

 ゼミの学生を町工場に連れ回していると、ものづくりに は全く素人の学生でも興味深いレポートを書いてくる。その中には小生も気がつかなかったような話や工場の光景が描かれていることがある。工場の様子を丹念 にマンガ絵に描いてくる学生もいる。聞くと、そこが一番面白かったからだと言う。これも感情の力を使って身心に記憶させている一例であろう。

  講義で統計学の理論を教える時、公式や一般式を書いて証明をしていると学生はよく分からないような顔をする。しかし、具体的な事例の数値を当てはめて解説 すると理解する。具体的なイメージが湧くからだ。そしてイメージが湧いて少しでも理解度が進めば、多少なりとも楽しさを感じるから一般式にも眼が向くよう になる。その意味では、具体的なイメージが湧くということが、感情を動かして抽象的な一般式を理解するための入り口である。そして実際に自らの手で数式を 書いて問題を解いたり式を証明したりしてみるとそこに感情の動きが必ず伴っていることに気づく。すなわち、うまく証明できたりすると喜びとか楽しみを感ず るのである。この感覚を味わえば、式や理論が頭という身体に定着することが容易になる。

 また、学生達には、経済新聞を読むときもこれと 同じように感情の力を使うとよい、と言っている。企業や経済に関する記事も、一つの記事を時間的な流れの中であたかも舞台を見ているかのように読んでいる と、そこにおける登場人物に感情移入したりすることがある。こうなるとスポーツ新聞を読むがごとくに経済新聞を読むことが出来るのである。歴史の教科書を 読んでいてもすぐ眠くなるが、歴史小説は時間の経つのを忘れて読んでしまうのと似ている。経済記事はボーっと読んでいてもなかなか身体化されないが、感情 移入して読むことが出来れば身体化は速い。町工場の労働においてもスポーツにおいても、そしていわゆるデスクワークでも、様々な仕方で工夫して喜怒哀楽と いう感情を対応させて集中していくことで、身体化された知識が効率的に形成されていくのではないだろうか。