2005-4-30
 1943年4月、文部省は東京六大学野球連盟に解散を命じ、六大学リーグは中止となった。早稲田大学当局(田中穂積総長)はこの命に従って、早慶対抗野 球試合を禁止するに至った。同年9月東条内閣は法文科系学生の徴兵猶予を全面停止する措置を発表した。このため学生のうち適齢者は徴兵検査を受けて12月 には入営することになった。出征を前に慶応大学野球部員達が当時の小泉信三塾長に早慶戦の開催を願い出たところ、彼は快く許可した。これを受けて、慶大野 球部は早大野球部に試合を申し込んだ。快諾した早大野球部は大学当局と交渉したものの田中総長は試合の開催を認めなかった。しかし早大当局の許可が出ない まま早大野球部は開催に踏み切り、10月16日正午、後に「最後の早慶戦」と呼ばれることになる出陣学徒壮行試合が早稲田大学戸塚球場において開催され た。三塁側慶応の学生席には前年南太平洋の戦線で愛息を失った小泉の姿があったという。(以上は、『1943年晩秋 最後の早慶戦』早稲田大学大学史資料 センター、2005年、を参照した)
 長々と戦中の話を書いてしまったが、このエピソードに当時の両校が持っていた理念の違いが垣間見られたような気がしたのである。校歌や学長室に掲げてあ るような理念とは無関係に、緊急を要する重要な意思決定をどう行ったかにその組織が持つ理念の本質が現れる。早慶戦開催に関しての両校の意思決定の違い は、当時の大学当局者の個性を反映している部分もあったかもしれないが、基本的には、それまでに積み重ねられてきた指導者達の行動と意思決定が作り上げた 何かを反映したものではなかっただろうか。

  企業経営においても、何か問題が起きた時、額に飾ってある社訓に照らし合わせて判断をする経営者はまずいないだろう。人間、とっさの判断をする時にその人 の本質が現れるものだ。経営理念は額縁の中にあるのではない。緊急の決断を要する意思決定において、経営理念は経営者の行為に顕現する。

  そしてこのような経営理念が透けて見える経営者の行動を社員は見ているのである。企業を訪問すると、立派な社長室に「取引先を大事にする、迷惑をかけな い」「社員を大切にする」「環境を守る」などという社訓のようなものが額に掲げられていることがある。このような経営理念に賛同しない社員はおそらく少な いと思う。しかし、その理念を実際に信奉して自らの行動を規制することは経営者自身にとってもかなりの自己統制能力が必要であろう。いわんや社員において をや、である。

 台東区で高級駄菓子を開発・販売している萬年堂の経営者鈴木さんから「うちとお付き合いがあるお菓子メーカーさんは、ご 夫婦でやっているような職人さんがほとんどで、しかも父の代からの長い付き合いなんです。だから父のモットーは、「手形商売はするな」「値切るな」「返品 はするな」だったんです」という話をうかがったことがある。しかもほぼ同時期に全く別個に、子息である専務からもこのモットーを聞いた。後生大事に額を飾 る社長室がある訳でもないのに、瞬時に彼の口から自分の言葉として出てきた。聞くと、幼少期から家庭内での会話の中で自然に刷り込まれたようだ。小生が 「生業の経営理念継承は家族団らんから」と言うのはこのことである。

 先日、墨田区の鋳造業、東日本金属を午後6時頃に訪ねた時のことで ある。二階の事務所では現場作業を終えた経営者(73歳)が気持ちよさそうにタオルで顔を拭いていた。その横で子息の専務が取引先と電話で話をしている。 奥の部屋からはその弟が営業関係の書類を抱えて出てきた。しばらくすると専務の子息(23歳)が鋳造作業の後片付けを終えて上がってきて社長に報告をす る。聞けば数週間前に作業で腰を痛めたそうで、まだ動きが少し硬い。専務も腰痛持ちなのでしばらくは皆で腰痛対策に話がはずんだ。生業においてはこのよう な日常的な現場の光景の中で本来の経営理念が継承されていくのである。

 その意味では、経営理念こそが経営者が最も時間と労力をかけて身 体化すべきものである。そして経営理念は経営という行為によってしか身体化されない。組織の中で経営者自身が苦闘しながら鍛えられていく過程のうちにしか 社員達に受け継がれていくものはないのである。「彼も頑張っているな」と思わなければ部下は心を動かされないし、ついて行こうとも思わない。経営者らしい 行為を目の当たりにした社員達が「きみもそこにいたのか」という共感を持ってそれを語り継いでこそ、頑健な理念が形成され継承されていくのである。

  経営者の言動は何らかのかたちで必ず社員の行動に反映される。経営者の行為は時空を越える。かつて「うちには頭のいい社員はいらない。考えて意思決定する のは自分だけだから、俺の言ったとおり動くやつがいればいい」と豪語した大企業経営者がいたが、この独裁者が退いた今、残された社内には経営を受け継ぐ人 材が全く育っていないという。受け継ぐべき理念が形成されていないのだから当然だろう。

 日常の企業活動とは異質の「いやなこと」に関し て緊急に意思決定をしなければならない時にこそ、その経営者に身体化された価値観が問われる。そしてこのような意思決定の歴史的積み重ねにより、その会社 の経営理念が、さらにはその会社の良心が形成されるのである。そしてそれは一瞬の判断において自らを露出するのである。「最後の早慶戦」の例で言えば、当 時の総長には「私の一存で早慶戦を開催させてあげよう」という程度の侠気もなく、小泉塾長にはおそらく「早慶戦を許可しなければ私ではありえない」という 次元の倫理観があったのではないだろうか。