寒暖の差が激しくて、ついにインフルエンザに陥落。今年のは、結構きつい・・・「南セントレア市」、あっさり否決されて、合併までなくなっちゃいまし た。セントレアはちょいと行き過ぎだけど、合併はしておくべきだと思うのですがねえ。ま、とにかく妙な市名を書いた名刺を作らずに済んだだけ善しとしま しょう。 

職人リターンズ ~ 今を生き抜くアイデアとは

 山形県長井市に仕事で伺ったときに、製麺業の方のお話を聞く 機会があった。その方は、昭和30年代に、たまたま見かけた雑誌の記事に、播州の素麺職人の話が出ており、家出同然で、押しかけ入門したのだそうだ。実家 の通帳なども全部持ち出して、単身、姫路のその職人のところを訪ねて行ったが、不審がられて最初は中へも入れてもらえなかったと言う。それどころか、お金 は持っていたのに、近所の旅館でも宿泊を断られ、弟子入りが認められるまで一週間、野宿をしたのだそうだ。やっとのことで、弟子入りし、色々と勉強させて もらった後は、九州や関西などの製麺の産地を廻って、技術を修得して歩いたという。
 この話を聞きながら、以前、大阪で聞いたある旋盤職人の 老人の話を思い出していた。職種は全く違うのだが、技術の修得の方法がほとんど同じだったからだ。旋盤職人の老人は、「大阪万博の頃までは、自分の腕を磨 くために、色々な企業を転々として、学んでいくというのが普通だった。今では、料理職人くらいにしか、その習慣は残っていないが」と話していた。「包丁一 本、さらしに巻いて~やないけど、わしらも道具だけ持って色々な工場を渡り歩いたもんや」と話していたのが印象に残っている。

 詳しく知 らべた訳ではないので、はっきりしたことは分からない。しかし、何人かの職人に聞いたところ、様々な工場や産地を転々としながら、自己の技術を向上させて いくといった技術修得の方法は、1970年代頃まで存在していたようである。中には、今では有名になっている産地の元の技術は、他から招いた職人によって 修得したものだと言うケースもある。

 私たちは、しばしば「伝統」とか、「文化」というものを作り上げてしまう。つまり、一社に一生勤め 上げるということが、日本社会の中で重要なことで、「終身雇用制」は我が国古来の伝統だと考えてしまう。しかし、実際には、「終身雇用制」や、「年功序列 制」は、第二次世界大戦中の挙国一致体制で広がったものである。さらに、こうした老職人たちの証言を基に考えれば、1970年頃までは、依然としてこうし た技術修得の方法が残っていたと考えられる。旋盤職人の証言によれば、彼も1970年代後半に大手家電メーカーに採用され、定年前には工場長になったと言 う。「その頃には、一社で定着して、働いていくという仕組みになっていったからね」と話している。

 考えてみれば、1970年代というの は、日本の製造現場が本格的な大量生産時代に突入した時期である。大企業の工場では、機械化が進められ、それに伴ってマニュアル化が進展した。また、工業 高校や高等専門学校などから若く優秀な人材が次々と輩出されてきた時代でもある。大量生産を行い、社内での技術者養成を図る企業にとって、転職されたり、 自社技術を他者に持っていかれることは、大きな損失になる。そうした一つの転換期だったと考えられる。

 彼ら老職人の話を聞いていると、 それはノスタルジーにあふれていると同時に、自由闊達な「ものづくり」職人の時代を思い起こさせるに充分だ。また、驚かされるのは、彼らの移動の範囲と人 的ネットワークの広さである。新幹線もなく、航空機なども庶民には縁遠かった時代に、遠い土地まで訪ねている。

 もちろんその時代時代に よって、求められることが違う。高度成長期から、少し前までは大量生産に適応し、特定企業内での技術修得をすることが重要視されてきた。企業側は、技術の 漏洩を防ぐために、「職人」ではなく「工員」もしくは「従業員」を育てることに注力してきた。「大企業からベテランだからと、再雇用してみたが、特定メー カーの機械しか扱えないと言われて困っている」という声を、何人かの中小企業経営者から聞かされた。彼らは、職人ではなくて、優秀な大企業の「工員」だっ たのだ。しかし、それこそが大企業が望んだ人材であったのだ。

 技術やノウハウの水準も、性質も異なってしまっている現代において、冒頭 で述べた職人たちのあり方は、もはや復活することは不可能なのかもしれない。ただ、その一方で、働く側から考えた時、「終身雇用」も、「年功序列」も、さ らには「定年退職金」も無くしていきますよと通告されている現在、ただ黙々と「工員」や「従業員」となって働いていくことでわが身を守れるのかどうか。自 分の将来にとって、必要だと思える技術やノウハウがあるならば、とっとと転職して、そこで身に付けてやろうと思うくらいの根性が必要になっている。

「職 人」たちの技術修得の方法が、あながちこれからの時代に合っていないとは言い難く思えてきた。「いろんなところで、いろんなことを勉強させてもらった。し かし、マネじゃない。最後に自分なりの工夫があるから。」職人たちは、ほぼ同じことを言う。自力で技術を修得し、ネットワークを広げ、独自性を付け加え て、初めて一つの仕事が完成していく。この流れは、実は今も変わらない。むしろ、これから再度、重要性が増すことなのかもしれない。ものづくりだけではな くて、様々な仕事で、生き残りたければ「職人」を目指さねばならない時代になったのだ。


 今月号は、中村主任研究員が担当しました。