工業高校をつぶして総合産業高校とやらに看板を塗り替えようとする動きがある。「高齢化・国際化・情報化の進展、科学技術の高度化、地球環境問題への視 点の必要性といった社会の変化や生徒の幅広い分野の学習希望、進学して継続的に学ぶ希望に応じ、時代の変化や産業の複合化に対応する人材を育成する」のだ そうだ。そこでは「幅広く産業をとらえ、工学・情報・科学・環境・国際・バイオの分野にわたり、産業を総合的に学ぶ教育の提供」してくれるという。総合産 業高校では宇宙工学やバイオテクノロジー、おまけにアントロプルヌール入門も学ぶことが出来るらしい。
 そんな内容の科目を教えることの出来る教員がどれだけい るのか?高校でそんな学問をしてその後どうするのか?などという素朴な疑問は別にして、確実に言えるのは技能に関する実習が大幅に削減されるのだろうな、 ということである。そうなるとものづくりに必要な基本的な道具を使いこなすことのできる生徒が減ることは間違いないだろう。前号で述べたような、電気科の 生徒に玄能を使う姿勢まで指導してくれる先生もいなくなってしまうかもしれない。その代わりに付け焼き刃で宇宙工学を教えてもらってもどれだけ身体化され た知識になるか甚だ疑問だ。

 道具や設備を使いこなすための第一歩はこれを扱う基本的な姿勢を身につけることである。そして基本的な姿勢 が身に付けば道具を使う気構えも自然と出来上がってくる。この基本姿勢を身につけるには反復練習しかない。これによって高度技能がすぐ身につくわけではな い。将来、高度かつ自律的な技能や技術を身につけることが可能な身心を養成するのである。

 このような将来につながる基本的な実習を軽ん じて、今はやりで先端科学もどきの学習を増やして生徒をどのような人間にしたいのだろうかと思ってしまう。どうも今の教育は身体化された知識の重要性と若 い人が成長していくプロセスを無視しすぎている。始めに応用編をやってどうするのだ。教育は浅薄なニーズに対応すべきものではない。

 少 しスポーツの例を引いて考えてみよう。小生の専門としている重量挙げという競技においては、持ち挙げようとする時、バーを握って構えてから吸気して一瞬呼 吸を止める(止息)。そしてバーベルを引き上げ出す。この時呼気は止め加減で、少しずつ漏れていくが、バーベルに加速を加えた瞬間に漏れる息も加速して 「ウッ」とか「ウォッ」とかいう声が出る。そしてこの一連の呼吸が自然に出来る時は調子がよい。

 早稲田大学のスポーツ科学の先生がウェ イトリフティング部員を被験者にして、瞬間的に力を出すタイプの運動における「呼吸と力の関係」に関する実験をしたことがある。その際、選手がバーを挙げ る前に止息している事実に注目していたが、その行動の解説は次のようなものだった。通常、力を出す時は筋肉を収縮させる。これは意志(中枢神経の支配)に よる随意筋の収縮というかたちで行われるが、これだけではその人間の持っている潜在的な筋力を十分に発揮できない。心理的な限界が肉体的限界よりもかなり 下に設定されているからだ。ところが「息を止める」ことで、この収縮が自律神経(通常は意志の力によらない不随意筋を収縮させる)にも支配され、意識して 出すことの出来る以上の力が出ることになる、と。

 ハンマー投げの室伏が投げ終わった瞬間にゴリラやライオンのような雄叫びをあげている のも、投げる最中には力を出すために止息してブレーキをかけながら呼気をしているので、ああでもしないと残りの息を排気出来ないのではないかと思う。だか ら力を出し切った時ほど雄叫びも大きくなる。身体の中から湧き出てくるような声だ。

 小生の経験からすれば、重い物を持ち挙げる時、中枢 神経だの自律神経だのを意識しているわけではない。呼吸ですら妙に意識しすぎると動きが固まってしまう。われわれがある程度コントロールできるのは、バー を動かす前の姿勢と呼吸、身体の動かし方、そして挙げようとする気持ち、ぐらいである。要するに基本的な型を整えるだけである。挙げる前の一連の準備動作 で集中力が自然に高まっていき、力を発揮できる呼吸を自動的に行って大きな筋力を発揮しているのである。中枢神経も自律神経もこのプロセスの中で身心の要 求に応じて作動しているのだと思う。これが基本的な姿勢やフォームの威力である。

 重量挙げを素人にやらせるとまずこの呼吸が滅茶苦茶で ある。しかし、呼吸のことはあまり言わずにフォームをしっかり教えていくと、自然と呼吸の仕方も理解していく。しかしこの段階はまだまだである。重い重量 を持ち上げさせると、目一杯気張って、気合いだけで挙げようとしてしまう。姿勢を整えてフォームを一層確実なものにさせるための繰り返し練習を続けていく うちに、力まずに集中するための自分にあった呼吸が身に付いてくる。

 人間が身心を働かせて作業をする際、集中力が必要な時にはこれと似 たようなことを無意識にしているように思う。息を止めたり、呼気にブレーキをかけることで、自律神経の力を借りて意識を集中しているのではないか。そして 作業が終わると、ホッと残りの息を排気してから吸気する。これが「一息つく」ということだろう。熱心にキーボードで原稿を打っている時もそうだ。この場 合、作業を急激に加速させる必要はあまりないから「ウッ」とかは叫ばないが、原稿を書き終わって「ヨシッ」と言うことはたまにある。俗に言う「火事場の馬 鹿力」や「時間の経つのを忘れて作業に熱中する」のもこのような意志の力(中枢神経系による支配)を超えた身心に潜在する力(自律神経系による支配)によ るものではないかと思う。

 基本的な型にしたがって身体を動かすことで自然に吸気、止息、呼気のリズムが出来上がってくると、集中力が発 揮されその作業に関して勤勉にもなる。職人でも技能水準が高いほど高い集中力と勤勉さを持っている。およそ何らかの熟練を必要とする作業においてはそれぞ れに適した基本姿勢あるい型が存在するのである。それに従ってやっていればある程度自動的に効率性と集中力が発揮されるような姿勢がそれである。

  工業高校における「ものづくり実習」でも文科系の大学生と工業高校生の間で一番差がついたのは道具を使いこなせるかどうかという点においてであった。そし てそれは基本姿勢を身につけているかどうかに帰着するものであると思う。結局、人間は身体化されたものによって勝負をしているのである。そのための基本的 実習を軽んじて、安易な総合産業高校構想により、大学もどきの現実感覚の乏しい講義を強化して何になるのだろうか?

 高齢化・国際化・情 報化の進展と科学技術の高度化ならびに地球環境問題に関する机上の知識はあるが「道具も設備も何一つ満足に扱えない総合産業高校生」と、これらの問題には 今のところあまり関心はないが「ものづくりが好きで道具や設備の扱い方の基本を身につけた工業高校生」。将来、ものづくりの分野で独り立ちして集中力を発 揮するのはどっちだ?