今年の夏はなかなか楽しかった。ケーキ屋さん、肉屋さん、そして看板屋さん、という町工場とは少し違った職種の職人を一週間で立て続けにインタビューす
る機会に恵まれると同時に工業高校2校を訪問することが出来たからだ。職人の方達はいずれも生業を営み、職人としての厳しい修業を積む一方で優れたマーケ
ティングセンスと経営能力を持っているという点で共通していた。その中でも一番印象に残った看板屋さんを紹介したい。
神奈川県の大都市臨海部の少し内側にあるその看板屋さんは一階が作業場、二階が自宅である。町工場と同じだ。看板の材料などが山積みにされた狭い作業場 には、筆、刷毛、インク、よく手入れされた鉋などの道具と書きかけの作品が所狭しと置いてある。そこでは芸術家のような風貌のAさん69歳と後継者の娘さ ん37歳が働いている。Aさんの仕事は、石油プラントの壁面、商品広告の看板、店舗の看板、煙突、あるいは名所などの由来の立て札等々、様々な大きさの文 字や絵を色々な箇所に描くことである。高所や難所も多い。全国の工業地帯のタンク壁面に文字や絵を描く仕事が多いということは、全国のメジャーな元請から の評価が高いということを意味するのかもしれない。
プラントなどの大画面に描く時は碁盤の升目をひいて、升目ごとに描く。どの升目に何を描くかは小さな升目画を描いてあらかじめ記憶しておく。円を描く時 は、鋼鉄のタンクに吸い付く磁石製のコンパスのような治具も使う。今はコンピュータで書いてプリントアウトして貼るのが主流だが、こういった業者はパタン 化された絵は描けてもユニークな絵や見てきれいな文字は描けないので彼に頼んでくるそうだ。
実際に作業を見せて頂いたが、文字を描く 時、画家の様なスタンスで腕を伸ばし、一本の筆であらゆる字を描く。下書きなしで、明朝体やゴシック体ですらすら描いていく。書道家の素養も必要なようだ が、広告書道はきれいな字を描くことが第一で、上塗り、継ぎ足しも構わないと言う。字体は見本を見ながら描くのが基本だが、それでも自分の個性が出てく る。字を作っていくという感じで描く。コンピュータで書いた文字はだめだと言う。枠の中に入ってしまって、字のバランスが取れないそうだ。
彼は東京に生まれ、すぐに引っ越して仙台で育った。5人兄弟の長男で、口減らしもあって15歳の時に地元の看板屋に丁稚奉公に出る。家事手伝いや子供のお 守り、畑の世話などもさせられ、殴られながら、見て覚えたそうだ。水平1ミリの違いをここで体得したという。看板屋に必要な大工仕事、鑿・鉋・鋸の研ぎも 習得した。1年も経たないうちにいきなり商品広告の看板を任されたが、先輩の仕事をちゃんと見ていたから描けたそうだ。当時の職人達はこうやって弟子の素 質を見極めていたようだ。
仙台で3年間働いた後、東京に出て墨田区の看板屋で働き始めた。仕事は豊富で楽しかったが、この会社には特に 技能のある人はいなかったので見切りをつけて2年で辞め、大田区の会社に移る。以後は手本になるような腕のある職人を探して数社渡り歩いた。このあたりは まさに渡り職人の世界かもしれない。
その後昭和45年に開業したが、当時を振り返って「仕事を覚えるようになるのに5年はかかる。金を 稼げるようになるは10年はかかる。でもこの商売、お金が腕から出てくるからいいよ。元手がかからない」と彼は言う。彼は生業としての経営センスも抜群だ が、その感覚もこのようなところから出てくるのだろう。自分が日本一という自負自体が経営力の基盤になっている。だからこそ、70歳を間近にして旺盛な挑 戦欲をもって、コンクールなどに積極的に応募しているのだろう。
この職人インタビューの合間を縫って工業高校2校を訪問した。まず最初 に訪れたのは大学生のものづくり実習でお世話になっている向の岡工業高校である。ここでは「なつやすみかながわワクワク体験」という小学生を主対象とした 親子ものづくり教室を開催していた。体験教室はペットボトルロケット、金属製水差し、電子蛍、木製プランターの4室で、参加者は合計50名ほど。72歳の 男性1名以外はほとんどが小学生だ。教室の中では電子蛍が一番人気だった。教えるのはむろん高校生である。実習でお世話になった生徒も何人かいた。
電子蛍教室には半田付けの上手な子がいた。聞けば家でもやっているとのこと。ニッパーを使うことができる子もいた。これも家にニッパーがあると言う。木製 プランター教室では、鋸、ノミ、鉋をしっかり使える子はいなかった。いずれも見事なへっぴり腰だが、それでも子供達の眼からは集中力のある真剣さが伝わっ てくる。ものをつくる人間に共通の眼だ。
この教室で、昨年のものづくり実習で小生にも指導をしてくれたI君が教えていたが、彼が明日、 県立神奈川工業高校で開かれる「高校生ものづくりコンテスト神奈川大会電気工事部門」に出場するというので小生も応援に出かけた。このコンテストは、主催 が神奈川県工業教育研究会、後援は(社)神奈川県電業協会で、内容は問題図に示された配線工事を指定の工具で行う、というものである。作業過程と完成品の 採点チェックは電業協会のプロ6名が厳密に行う。制限時間は2時間で、早い者勝ちではなく、安全や結線など細かいチェック項目80ほどをクリアしなければ ならない。参加校は10校19名である。
中には玄能の使い方などを建築科の先生に指導してもらって来た生徒もいる。玄能は姿勢が大事 で、体の中心部に持ってくる。ドライバーやナイフも全てこの姿勢で使う。どういう姿勢で作業しているかで玄能にも癖がついてしまうのだそうだ。さすがに選 ばれてきた生徒達だけあって姿勢もしっかりしている子が多い。この辺が文科系の大学生とは大きな違いだ。
細かい作業の仕方や段取りには 指導の先生の違いが出るようだ。よく見ていると、ゴムパイプの曲げ方(直角)、配線のステップルでの止め方、端子に付ける時の線の剥き具合、作業しながら のゴミの片づけ方などには結構相違がある。相違があるということは定型的な作業の中にも創意を発揮する余地があるということなのかもしれない。いずれにし ても生徒の眼は真剣だ。見ているほうも息が詰まる。
12時に終了してからの審査は厳正を極め、1時間半ほどかかってやっと表彰式となっ た。1位は平塚工科高校1年生で、6位入賞者のうち4名が2年生以下であった。上位に経験年数の浅い生徒が多いところが旋盤や大工などの作業とは違うとこ ろかもしれない。技能の質が違うようだ。「要領の良さ」レベルの技能と正確な電気知識を如何に身につけているかが鍵のように思われる。
ものづくり体験をする小学生達や、工業高校で学んでものづくりコンテストにも挑戦する高校生達の中から、技能と経営センスを併せ持った職人が生まれてくることを願ってやまない。
-若くして学べば壮にして為す有り-
神奈川県の大都市臨海部の少し内側にあるその看板屋さんは一階が作業場、二階が自宅である。町工場と同じだ。看板の材料などが山積みにされた狭い作業場 には、筆、刷毛、インク、よく手入れされた鉋などの道具と書きかけの作品が所狭しと置いてある。そこでは芸術家のような風貌のAさん69歳と後継者の娘さ ん37歳が働いている。Aさんの仕事は、石油プラントの壁面、商品広告の看板、店舗の看板、煙突、あるいは名所などの由来の立て札等々、様々な大きさの文 字や絵を色々な箇所に描くことである。高所や難所も多い。全国の工業地帯のタンク壁面に文字や絵を描く仕事が多いということは、全国のメジャーな元請から の評価が高いということを意味するのかもしれない。
プラントなどの大画面に描く時は碁盤の升目をひいて、升目ごとに描く。どの升目に何を描くかは小さな升目画を描いてあらかじめ記憶しておく。円を描く時 は、鋼鉄のタンクに吸い付く磁石製のコンパスのような治具も使う。今はコンピュータで書いてプリントアウトして貼るのが主流だが、こういった業者はパタン 化された絵は描けてもユニークな絵や見てきれいな文字は描けないので彼に頼んでくるそうだ。
実際に作業を見せて頂いたが、文字を描く 時、画家の様なスタンスで腕を伸ばし、一本の筆であらゆる字を描く。下書きなしで、明朝体やゴシック体ですらすら描いていく。書道家の素養も必要なようだ が、広告書道はきれいな字を描くことが第一で、上塗り、継ぎ足しも構わないと言う。字体は見本を見ながら描くのが基本だが、それでも自分の個性が出てく る。字を作っていくという感じで描く。コンピュータで書いた文字はだめだと言う。枠の中に入ってしまって、字のバランスが取れないそうだ。
彼は東京に生まれ、すぐに引っ越して仙台で育った。5人兄弟の長男で、口減らしもあって15歳の時に地元の看板屋に丁稚奉公に出る。家事手伝いや子供のお 守り、畑の世話などもさせられ、殴られながら、見て覚えたそうだ。水平1ミリの違いをここで体得したという。看板屋に必要な大工仕事、鑿・鉋・鋸の研ぎも 習得した。1年も経たないうちにいきなり商品広告の看板を任されたが、先輩の仕事をちゃんと見ていたから描けたそうだ。当時の職人達はこうやって弟子の素 質を見極めていたようだ。
仙台で3年間働いた後、東京に出て墨田区の看板屋で働き始めた。仕事は豊富で楽しかったが、この会社には特に 技能のある人はいなかったので見切りをつけて2年で辞め、大田区の会社に移る。以後は手本になるような腕のある職人を探して数社渡り歩いた。このあたりは まさに渡り職人の世界かもしれない。
その後昭和45年に開業したが、当時を振り返って「仕事を覚えるようになるのに5年はかかる。金を 稼げるようになるは10年はかかる。でもこの商売、お金が腕から出てくるからいいよ。元手がかからない」と彼は言う。彼は生業としての経営センスも抜群だ が、その感覚もこのようなところから出てくるのだろう。自分が日本一という自負自体が経営力の基盤になっている。だからこそ、70歳を間近にして旺盛な挑 戦欲をもって、コンクールなどに積極的に応募しているのだろう。
この職人インタビューの合間を縫って工業高校2校を訪問した。まず最初 に訪れたのは大学生のものづくり実習でお世話になっている向の岡工業高校である。ここでは「なつやすみかながわワクワク体験」という小学生を主対象とした 親子ものづくり教室を開催していた。体験教室はペットボトルロケット、金属製水差し、電子蛍、木製プランターの4室で、参加者は合計50名ほど。72歳の 男性1名以外はほとんどが小学生だ。教室の中では電子蛍が一番人気だった。教えるのはむろん高校生である。実習でお世話になった生徒も何人かいた。
電子蛍教室には半田付けの上手な子がいた。聞けば家でもやっているとのこと。ニッパーを使うことができる子もいた。これも家にニッパーがあると言う。木製 プランター教室では、鋸、ノミ、鉋をしっかり使える子はいなかった。いずれも見事なへっぴり腰だが、それでも子供達の眼からは集中力のある真剣さが伝わっ てくる。ものをつくる人間に共通の眼だ。
この教室で、昨年のものづくり実習で小生にも指導をしてくれたI君が教えていたが、彼が明日、 県立神奈川工業高校で開かれる「高校生ものづくりコンテスト神奈川大会電気工事部門」に出場するというので小生も応援に出かけた。このコンテストは、主催 が神奈川県工業教育研究会、後援は(社)神奈川県電業協会で、内容は問題図に示された配線工事を指定の工具で行う、というものである。作業過程と完成品の 採点チェックは電業協会のプロ6名が厳密に行う。制限時間は2時間で、早い者勝ちではなく、安全や結線など細かいチェック項目80ほどをクリアしなければ ならない。参加校は10校19名である。
中には玄能の使い方などを建築科の先生に指導してもらって来た生徒もいる。玄能は姿勢が大事 で、体の中心部に持ってくる。ドライバーやナイフも全てこの姿勢で使う。どういう姿勢で作業しているかで玄能にも癖がついてしまうのだそうだ。さすがに選 ばれてきた生徒達だけあって姿勢もしっかりしている子が多い。この辺が文科系の大学生とは大きな違いだ。
細かい作業の仕方や段取りには 指導の先生の違いが出るようだ。よく見ていると、ゴムパイプの曲げ方(直角)、配線のステップルでの止め方、端子に付ける時の線の剥き具合、作業しながら のゴミの片づけ方などには結構相違がある。相違があるということは定型的な作業の中にも創意を発揮する余地があるということなのかもしれない。いずれにし ても生徒の眼は真剣だ。見ているほうも息が詰まる。
12時に終了してからの審査は厳正を極め、1時間半ほどかかってやっと表彰式となっ た。1位は平塚工科高校1年生で、6位入賞者のうち4名が2年生以下であった。上位に経験年数の浅い生徒が多いところが旋盤や大工などの作業とは違うとこ ろかもしれない。技能の質が違うようだ。「要領の良さ」レベルの技能と正確な電気知識を如何に身につけているかが鍵のように思われる。
ものづくり体験をする小学生達や、工業高校で学んでものづくりコンテストにも挑戦する高校生達の中から、技能と経営センスを併せ持った職人が生まれてくることを願ってやまない。
-若くして学べば壮にして為す有り-