大学時代からの友人に久しぶりに会った。聞くとこの数年かなり苦労した様子だ。長く勤めたゼネコンが倒産する少し前に退職し、知り合いが始めた会社で働 くがこの会社もだめになった。一方で事業を始めた友人の借金の保証人になって、せっかく手に入れたマンションも手放す羽目になり、今は都営住宅のようなと ころに住んでいる。
 ゼネコン時代は営業をやっていたが、業種が違うと「こんなはずでは」ということばかりだと言う。4月からはゼネコン時代の後輩エンジニア数名が創業した 小さな建設会社に勤めている。社員とは名ばかりで、給料はほとんど出ず、個人事業主として社内で出来高払いで働くかたちだ。そのため夜はコンビニでアルバ イトをしている。宅急便の仕分けの仕事をやったこともある。

  「ハローワークにも人材派遣にも登録しているけどこの歳ではなかなか就職先は見つからないよ。信ちゃん、肉体労働でいいからどっか勤め先ないかな?こんな に苦労していても体だけは丈夫なんだよな」と6尺あまりの体を縮める。学生時代スポーツで鍛えた体は少し痩せて老けたがまだ頑丈そうだ。晩婚だったので一 人娘はまだ小学校に通っている。「娘のために」というのが原動力だと語る表情には体力だけでなく気力もまだ失っていないことが伺えた。

  彼の話を聞いていて、父が工場を閉鎖した時の事を思い出した。事態が落ち着いた後ある業界誌に父は以下のようなことを書いていた。「昭和55年8月15日 をもって私はめっき加工の仕事から撤退した。・・・撤退は難しく、常に刃の上を渡っている状態であった。軍隊の経験をした私には退却作戦が最も難しいこと は分かっていた。しかし、観念的に分かっている以上に撤退は難しく、その上労災裁判を1件かかえていたので、一つタイミングを誤ったり、邪魔が入ったりす ると玉砕となる事態を幾度も乗り越えた。最大の課題は借金の返済と従業員の再就職であった・・・操業停止、工場売却、借金完済から半月を経た9月初旬には ほとんどの従業員が新しい就職先で働き始めた。心労のせいかこの一ヶ月で5キロの体重を失った・・・」

 たしかあの時期には会社のかかえ た借金が9千万円ほどになり、これを返済するために工場を売却したのだが、借地権だったので交渉が難しく地主の判子がなかなかもらえなかった。この時期、 会社の資産も社長の個人資産もひとつひとつ減っていくという状況だったのでまさに綱渡り状態だった。このままだと住んでいるマンションも出ていかなければ ならなかった。父や私が戦々恐々としている時、一番度胸がすわっていたのは母であった。「いざとなったら、ケツまくればいいのよ」という初めて聞いた伝法 な言葉はいまだに耳に残っている。どうしても男達は他人にどう思われるかとか資産が惜しいとか思ってしまう。しかしそのような心構えでは事態を乗り切る底 力は出てこない。

 学生時代にわが恩師は「財貨を失うのは、少しを失うことだ。名誉を失うのは、多くを失うことだ。勇気を失うのは、全て を失うことだ」というゲーテの言葉をよく引用されていた。その当時は勇気が一番大事なのだな、ぐらいにしか理解していなかったが、80歳を超えた師にお会 いした時、「鵜飼、あの言葉の含意が分かるか?あれはな、すでに財産や名誉を得てしまった人間に勇気を期待してもだめだ、ということなんだよ。カネや勲章 に汲々とする政治家や財界人に勇気ある決断を期待しても無駄だ」と言われた。

 人間、追いつめられないと「心の力」は出てこないようだ。 この力は、われわれが自己都合の名誉心や自己保存欲などに基づく(それらを失うかもしれないという)不安感や恐怖感を乗り越えた時に出てくるような気がす る。不安の力の方が、火事場の馬鹿力やお祭り力より持続性がある。今は不安の時代だと言われるが、戦後復興期や高度成長初期の方が国民の不安感ははるかに 強かったのではないだろうか。しかも失うものが少なかったからこそ乗り越える勇気も出てきたのではないか。

 その意味では本当に守るに値 するものは何かを徹底的に自分に問い詰め、見栄や虚栄心を捨てた時に、問題の本質が見え、改革の勇気も湧いてくるのではないだろうか。不安や恐怖などの感 情を手がかりに徹底的に自己を分析すると、情念の中に論理が見えてくる。「心の力」の出発点はここにある。- 憂きにも幸は潜む -