2002-12-30

 2002年はヘルマン・ヘッセ生誕125周年であると聞き、中学時代に読んだ『車輪の下』を読み返してみた。貧しい田舎町の秀才ハンスが猛勉強して首都 の神学校に合格し寄宿生活を送るのだが挫折して故郷に戻り、周囲の冷たい視線の中で機械工の道を歩み始める。無給の見習い工として歯車のヤスリがけ作業か らスタートし、筋肉痛に悩まされながらもその過程で本の知識からは得られない何か価値のあるものを実感する。ヘッセ自身の経験をベースにしているので、工 場での作業や休日に先輩職人達と飲み歩く様子も現実感あふれるものがある。以前読んだ時の記憶には前半の神学校の生活と悲劇的な結末しか残っていなかった のだが、40年後に再読した今、生業資本主義論者として必読の書だと思った。
 小生の提唱する生業資本主義においては、経営者はみな 「身体化された知識を駆使することによって価値を創造する」ということ前提においている。「身体化された知識」というと何かとても難しい話のように聞こえ るが、熟練技能がその代表例であると言えばわかりははやいだろう。体で覚えた知識、と言ってもよい。

 これは何も肉体労働だけを言うので はない。小生の恩師は84才を過ぎた今でも、経済統計数値、歴代天皇、歴代総理大臣およびその時の大蔵大臣などをすらすらと暗唱される。お宅を訪問すると 今でも「いざという時に「本に書いてあります」ではだめだ。思考するために、あるいは人を説得するために必要な基本的事項は暗記していなければだめだ。ほ ら、お前も言ってみろ!」と叱られる。時には一夜漬けで暗記して行くのだが、年季が入っていないのでなかなか「身体化」されない。

 講演 で、よくパソコンを持ち込んでパワーポイントなどで得意げに説明する人がいるが、本人の満足度が高い割には聞く側の心に響くものがない。会場に行く際に 乗ったタクシーの運転手の話の方がよっぽど記憶に残っている。運転手の話の方が身体化された知識であるからかもしれない。小生は常々「銭湯の湯船で他人を 説得できる話が出来なければだめだ」と考えているが、これも「身体化された知識の説得性」が念頭にある。湯船ではメモもパソコンもOHPも用意できない。 頭も含めた自分の身体で話をするしかないのである。

 工業高校で体験実習をしたゼミ生が「設備機械を扱うよりも道具を扱う方が難しかっ た」と言っていたが、道具の方が身体化されるものが多く、素人と玄人の差がつきやすいからであろう。そういえば、名古屋にあるトヨタ産業技術記念館の最初 の展示室には、道具・工具や測定器具などが飾られてある。道具そのものは何も語らないが、これをどうやって使うのかということを考える時、身体化されたも のの重要性が浮かび上がってくる。「トヨタのものづくりの思想」の原点はまさにここにあるのかもしれない。

 経済学者ゲーリー・ベッカー は『人的資本論』(1964)で以下の主旨のことを言っている。「労働力は投資によって生産能力を高めることのできる「資本」である。個人には生まれつき 一定の生産能力が備わっている。この生来の生産能力を、個人は訓練を受けることによって、最初の水準以上に高めることが出来る。ただし訓練をしている間 は、それに時間をとられるわけだから、生来の生産能力を完全に発揮することは出来ない。訓練は将来の生産能力を高めるための「投資」であるから、これを人 的資本投資という。人的資本投資によって訓練終了後は、その人の生産能力は生来の水準よりも高くなる。この訓練前よりも高くなった分が、訓練の成果、すな わち人的資本投資の収益となる」。

 字面は難しそうなことが書いてあるが、要は身体化された知識がより高い生産能力を持つならばそれは資 本の増加である、ということだろう。経営者自身が現場で働く生業資本主義の世界では、ものであれサービスであれ、財の供給者は自らの身体化された知識とい ういったん習得すればいくら利用してもなかなか減耗しない経営資源を活用して財を加工し、差別化する。この身体化知識による財の加工に伴う限界費用は極め て小さい。経営者が身につけた生産能力は、いかなる高額の設備機械にも優る強力な経営資源なのである。

 2003年も中小企業にとっては 極めて厳しい年になりそうである。しかし空洞化と嘆いていてもはじまらない。「躍進する中国」も「失われた10年」もなかったことにするわけにはいかな い。だからといって製造業の人達がいきなり商品化能力を身につけることは難しい。そこで、もう一度心を新たにものづくりに徹底的にこだわってはどうだろう か?技術と技能を徹底的に磨く。その際の方向の一つは、前工程にさかのぼって付加価値の元を突き詰めていく。そうすると部品のユニット化や新材料対応など の展開方向が見えてくるかもしれない。さらにはユーザニーズの本質が浮かび上がってくるかもしれない。ここに新事業展開のヒントがあるとは考えられないだ ろうか。

 もう一つの方向は設備と道具の改良・工夫である。生産技術革新の効果は生産性の向上やコストダウンだけではない。設備や道具を 徹底的に「自分のものにすること」=「身体化」は生産システムの進化をもたらす。ここからユニークな道具や設備が生まれれば新製品開発にもつながる。

  これら二つの方向は生産現場では日常的にはブラックボックス的に取り扱っていることが多いが、ここに宝の山があると考えるのがものづくりに生きる人達の奇 をてらわない展開方向であろう。生産現場に存在するものは人と材料と道具・設備である。この組み合わせから付加価値を生み出していくしかない。長年現場で 働いてきた人達には身体化された資本が豊富に存在するはずである。生業ゆえの生活感覚をもってものづくりに徹底的にこだわることで新たな事業の方向も見え てくるのではないだろうか。

 「人間も歯車もベルトも、一様にはたらきつづけていた。そこでハンスは生まれてはじめて、労働の讃歌をきいた」(ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』実吉捷郎訳、岩波文庫、208頁)