農家の主婦も指がごつい。4月の始めにJAセレサ川崎女性部柿生支部50周年記念式典で講演させていただいた。メルマガ第3号で書いた「指と胡座の世 界」の話をしたところ、終了後何人かの女性が自慢の指を見せて下さった。「手を土の中に突っ込んでいるとこうなるのよ」という指はものづくりの現場で活躍 する人達に勝るとも劣らないほど道具化していた。
 大田区や川崎市の町工場の方々をインタビューしていると、経営者も従業員もごつい指の人が多いことに気づく。彼らの多くは15の春に集団就職などで東北 や北陸から上野駅に上京した人達だ。まだ骨の柔らかい年齢から専門の作業を始めれば、作業に適応して指の骨が変形していく。むろん指以外の身体全体も変化 する。指はその象徴である。町工場の中で何年もかけて損得抜きに仕事にのめり込んでいってはじめて、こういう体こういう指になるのだろう。「ものづくりの 精神と身体」の基本はこの辺にあるようだ。

  このようなことを考えているうちにある時期から、彼らは14の冬まで何をしていたのかな、ということが気になってきた。そこでインタビューの時、実家の職 業も聞くようにしたが、50歳以上の人達の場合、圧倒的に農業である。残りも漁業、林業などの第1次産業が多い。親しい大田区の熟練工の鈴木さん(67 歳、福島出身)にこの点を聞いたら「鵜飼さん、そう言うけどうちは農業やれるほど土地を持っていなかったよ。親父は勤めていた」と言われた。「じゃ、農作 業はやっていなかったの?」と聞くと「やっていたよ。自分達の食べる分くらい」。

 やはり地方出身の熟練工の多くは14の冬までの間、農 作業の手伝いなどはしていたようである。手伝わないまでも、農的な生活はしてきたのである。私の母(87歳、長野県出身)の育ちは伊那の山奥であった。彼 女の両親は桑畑と山を持っていた。「お母さん、農作業手伝ったことある?」「ないよ。あれは小作人がやってた。でもイナゴ取りは素早かったよ」。この人、 昔は父の経営するメッキ工場を手伝っていたが、確かに作業の手は速かった。今でも28インチのテレビやベッドの配置換えをするのが趣味だ。

  町工場の地方出身者には、農業をやっていなくても農業という場の中あるいはその周辺で生活してきた人達が多いようだ。その中で農作物づくりの現場を体感し たり、道具を使ったりしていたのではないかと思う。生活空間ひとつとってみても都会育ちとは全く違う環境であろう。太陽と土と水がある。畳の間があり、座 る生活がある。
和式トイレがある。生活の中に作業がたくさんある。農的生活様式における生活習慣と身体・精神の形成。いわば、ものづくりのための準備体操をしてきたようなものである。「ものづくりの精神と身体」の原点がここにあるように思える。

 三宅島から北区桐ヶ丘に避難してきた人達が最初に言った言葉は「この空き地で野菜を育ててもいいですか?」だったという。何でもまず自分で作ってみようとする精神があり、しかもそのためのノウハウを身につけた身体があるのではないか。

  川崎ファーマーズマーケットが毎年11月に「田んぼでジャズコンサート」をやっている。黒川の田んぼに行くと、参加者はまず竹を2本切らされる。太いのが 豚汁用、細いのがお酒用。田んぼでは主婦達が大きなかまどで豚汁を作ったり、鉄板焼きをしたり、大量のおにぎりを作ったりしている。終了間際には熱気球の 紙風船が舞い上がる。全て自分達の手作りである。コンビニで買い揃えてくるという発想はない。都会育ちの人間ではなかなかできないパーティだ。「必要なも のは自分達で工夫して作る」という精神と身体がある。工夫しようという精神だけあってもノウハウを身につけた身体がなければだめであり、ごつい指はその証 であろう。

 去年、川崎市の向の岡(むかいのおか)工業高校で開かれた親子ものづくり教室で興味深い光景を見た。篠竹を使った風車を作ら せているのだが、小学生に熱心に教えている高校生も「肥後の守」の使い方が危なっかしいのである。指導に当たっておられた当時の鈴木校長が見かねて手助け をされていたが、こちらは素晴らしい手際であった。聞くと家でも校内でも農作業をやっておられるという。確かに道具の似合う指、長靴の似合う体つきであっ た。

 このように考えると、次代を担う人達がものづくりの現場で活躍するためには、ロボットコンテストやインターンシップだけでなく農業 疎開も必要かな、という極論まで考えざるをえない。人間の精神と身体は生活様式、生活習慣により形成される部分が大きい。そして人間は心身に身につけたも ので生きていく。「百姓の生きて働く暑さかな-蕪村-」