今年2月、自宅にADSLを導入した。それまではダイヤル回線で56kbpsのモデムだったから、平均1.2Mbps(ダウンロード時)はとても速い。
しかも常時接続しているから、インターネットの使い方まで変わってきた。研究室はLAN接続なので、以前から高速で接続し続ける体験はしていたのだが、自
宅で常時高速接続という環境はユーザの身に大きな感覚変化をもたらしつつあるような気がする。
思い起こしてみると、80年代にNEC98パソコンを使い始め、93年からDOS/Vパソコン(66MHz)とWindows3.1の組み合わせになっ た。その頃にパソコン通信も始め、最初のモデムは2.4kbpsだったと記憶している。95年頃から研究室ではLAN環境、自宅では14.4kbpsモデ ムでインターネット。97年には自作パソコン(200MHz)とWindows95、モデムは33.6kbpsになった。その後はパソコン本体は拡張程度 にとどめ、OSをWindows98、モデムを56kbpsにバージョンアップしてお茶を濁していた。
2000年末になってようやくパソコン(1GHz)を作り替え、2001年にはADSL導入の運びとなったわけである。この間にCPUの速度は15.2倍、通信速度は500倍という計算になる。
これと並行して自分自身の身体感覚はどう変化したのだろうか。まずキーボードを叩くスピードがかなり上がった。さらにプログラミングの真似事やソフトの設 定、さらにはハングアップを何回も繰り返すことにより、キーボード(原因)と画面(結果)の因果関係を試行錯誤的に体得したと思う。また、パソコンを自作 することによって、拡張ボードなどの部品と画面やスピーカ音などとの因果関係も経験的に認識したようだ。
しかし、なんといっても一番の 変化は速度感覚と不安定感が生まれてきたことであろう。パソコンやモデムなどIT関連機器の速度がプログレッシブに増すごとに、こちらの反応速度も順応し て速くなる。しかもひとたび適応すると、二度と遅い速度には順応出来なくなる。「後戻り出来ない満足構造」というのがIT革命における感覚変化の基本であ るような気がする。
パソコンを買い換えた時、前のに比べて格段の速さを実感する。ちょうど高速道路で加速する時のような感じで、これは ある種の快感である。しかしその速度に慣れるとこの快感は消えて、それが巡航速度になってしまう。何ヶ月か経て友人の更に新しいパソコンに触れると、登り 坂で追い抜かれたように、自分のパソコンをみじめに感ずるようになる。パソコンを趣味のように使っている人間ほどこの感覚は強くなるようだ。常時接続によ りこのタイプは増加するだろう。
不安定感もこれと関連する。パソコン通信を始めた頃、メールをやりとりしていて何かしら不安定な感覚、 喩えて言うと「ボートの上でキャッチボールをしている」ような感じがつきまとっていた。これには機器類自体の不安定性とソフトの使いにくさなども影響して いたと思う。画面上でビジュアルに操作が出来るOSが出てきてから、それまでよりは操作に安定感も出てきた。また、メールでのやりとりに慣れるにつれて相 手との距離感がほとんどなくなったようにも感ずる。
しかし、まだ不安定感が漠然と存在する。一つはハングアップやクラッシュの危険性が 依然としてあるからだろう。面倒な設定を終えて再起動させている時、唇に力を入れている自分に気がつくことはまだある。さらに基本的なことは、高速性その ものの中にあるのかもしれない。ちょうどコンコルドに乗っている時のような(乗ったことはないが・・・)。生まれてから今日までに培ってきた時間と空間に 関する感覚とは異質のものを感ずるIT閾のようなものが身の中に存在するのだろうか。
もうひとつの不安定感は情報技術そのものに関わる ものであろう。パソコンを使い始めてこのかた、「情報技術はいつでも過渡期、いつでも次世代がパラダイス」という観念が定着してしまった。 CPU66MHz、HDD400MBのパソコンを買った時は大袈裟に言えば一生物だと思った。しかし今や1GHZ、45GBでも楽隠居できない自分がい る。ADSLだと吹聴してみても来年はもっと速い通信回線が利用可能になっているだろう。3年もすれば使い物にならなくなって(あるいは使えなくなって) いるかもしれない。このようなことは携帯、モバイル、あるいはゲームにもあてはまるだろう。
おそらくこのような感覚は、早くからNC化やFA化の喧噪に巻き込まれたものづくり現場の方達にとっては当たり前のことかもしれない。「もの国」メンバーに代表されるように、町工場の後継者達がITを自在に駆使しているのもうなずけるような気がする。
IT革命の喧噪から生じてきた自分自身の内部感覚の変化は、ある種の「熟練形成のようなもの」とみることもできるだろう。自分の身体の中に、キーボードの 触覚とデジタル的な思考感覚とをつなぐネットワークのようなものが形成されてきたような気がする。「因果関係を体得する」という点ではものづくりもITも それほど違わないのではないだろうか。逆に考えれば、ITの将来は、これを利用するわれわれの中にどのような身体感覚が出来上がっていくかにかかってい る、と言えよう。
思い起こしてみると、80年代にNEC98パソコンを使い始め、93年からDOS/Vパソコン(66MHz)とWindows3.1の組み合わせになっ た。その頃にパソコン通信も始め、最初のモデムは2.4kbpsだったと記憶している。95年頃から研究室ではLAN環境、自宅では14.4kbpsモデ ムでインターネット。97年には自作パソコン(200MHz)とWindows95、モデムは33.6kbpsになった。その後はパソコン本体は拡張程度 にとどめ、OSをWindows98、モデムを56kbpsにバージョンアップしてお茶を濁していた。
2000年末になってようやくパソコン(1GHz)を作り替え、2001年にはADSL導入の運びとなったわけである。この間にCPUの速度は15.2倍、通信速度は500倍という計算になる。
これと並行して自分自身の身体感覚はどう変化したのだろうか。まずキーボードを叩くスピードがかなり上がった。さらにプログラミングの真似事やソフトの設 定、さらにはハングアップを何回も繰り返すことにより、キーボード(原因)と画面(結果)の因果関係を試行錯誤的に体得したと思う。また、パソコンを自作 することによって、拡張ボードなどの部品と画面やスピーカ音などとの因果関係も経験的に認識したようだ。
しかし、なんといっても一番の 変化は速度感覚と不安定感が生まれてきたことであろう。パソコンやモデムなどIT関連機器の速度がプログレッシブに増すごとに、こちらの反応速度も順応し て速くなる。しかもひとたび適応すると、二度と遅い速度には順応出来なくなる。「後戻り出来ない満足構造」というのがIT革命における感覚変化の基本であ るような気がする。
パソコンを買い換えた時、前のに比べて格段の速さを実感する。ちょうど高速道路で加速する時のような感じで、これは ある種の快感である。しかしその速度に慣れるとこの快感は消えて、それが巡航速度になってしまう。何ヶ月か経て友人の更に新しいパソコンに触れると、登り 坂で追い抜かれたように、自分のパソコンをみじめに感ずるようになる。パソコンを趣味のように使っている人間ほどこの感覚は強くなるようだ。常時接続によ りこのタイプは増加するだろう。
不安定感もこれと関連する。パソコン通信を始めた頃、メールをやりとりしていて何かしら不安定な感覚、 喩えて言うと「ボートの上でキャッチボールをしている」ような感じがつきまとっていた。これには機器類自体の不安定性とソフトの使いにくさなども影響して いたと思う。画面上でビジュアルに操作が出来るOSが出てきてから、それまでよりは操作に安定感も出てきた。また、メールでのやりとりに慣れるにつれて相 手との距離感がほとんどなくなったようにも感ずる。
しかし、まだ不安定感が漠然と存在する。一つはハングアップやクラッシュの危険性が 依然としてあるからだろう。面倒な設定を終えて再起動させている時、唇に力を入れている自分に気がつくことはまだある。さらに基本的なことは、高速性その ものの中にあるのかもしれない。ちょうどコンコルドに乗っている時のような(乗ったことはないが・・・)。生まれてから今日までに培ってきた時間と空間に 関する感覚とは異質のものを感ずるIT閾のようなものが身の中に存在するのだろうか。
もうひとつの不安定感は情報技術そのものに関わる ものであろう。パソコンを使い始めてこのかた、「情報技術はいつでも過渡期、いつでも次世代がパラダイス」という観念が定着してしまった。 CPU66MHz、HDD400MBのパソコンを買った時は大袈裟に言えば一生物だと思った。しかし今や1GHZ、45GBでも楽隠居できない自分がい る。ADSLだと吹聴してみても来年はもっと速い通信回線が利用可能になっているだろう。3年もすれば使い物にならなくなって(あるいは使えなくなって) いるかもしれない。このようなことは携帯、モバイル、あるいはゲームにもあてはまるだろう。
おそらくこのような感覚は、早くからNC化やFA化の喧噪に巻き込まれたものづくり現場の方達にとっては当たり前のことかもしれない。「もの国」メンバーに代表されるように、町工場の後継者達がITを自在に駆使しているのもうなずけるような気がする。
IT革命の喧噪から生じてきた自分自身の内部感覚の変化は、ある種の「熟練形成のようなもの」とみることもできるだろう。自分の身体の中に、キーボードの 触覚とデジタル的な思考感覚とをつなぐネットワークのようなものが形成されてきたような気がする。「因果関係を体得する」という点ではものづくりもITも それほど違わないのではないだろうか。逆に考えれば、ITの将来は、これを利用するわれわれの中にどのような身体感覚が出来上がっていくかにかかってい る、と言えよう。