一番古い記憶から星を見つける

木造平屋の家

日の当たらない北東向きの部屋で

出張床屋が来て

髪を切ってもらった。

まだ弟が生まれていないから

4歳になるかならないか。

耳の後ろから刈り上げられたおかっぱ頭。


次の記憶は

弟が生まれた日。

夕方母が

お風呂に入っていた。

なんで?と聞くと

赤ちゃんが産まれるからと。

それからタクシーが来て

産院へ行ってしまった。

置いて行かれたような

気がして不安になった。


その晩の8時ごろ

弟は生まれたようだ。


翌朝

初めて父が

味噌汁を作ってくれた。

へえー、と思った。

多分、嬉しかった。


母のいる産院へ行き

弟を見たはず。

産院の滑り台のようなスロープしか

覚えていない。

私は5歳になっていた。



幼少期の思い出は

何か心許なく

いつもそこはかとない不安感。

それは恐怖と隣り合わせで、

例えば

救急車や消防車のサイレン

隣のシェパードの吠える声

道路工事の掘削機

汲み取りのホース

それらが恐ろしくてならなかった。


職人の両親は

子育てに専念しようもなく、

小学一年の私は

いつも弟の乳母車を押して

友達との遊びに行くしかなかった。

その貧乏くささに

たまらなく

卑屈になっていった。

ただ言葉で説明してほしかった。

なぜ

弟と一緒でなければ友達と遊べないのか。


きっと両親なりに、

3人の子供を授かったことで

真剣に責任を果たそうとしていただけ。

朝5時から夜の12時近くまで

仕事をしたのも、

働くのが当たり前で、

これ以外の方法を

知らなかったか、選ばなかっただけ。


親に関心をもたれなかったことは

寂しかったんだろう。

妹弟の出現に、

自分はどのくらいかわいいか、大事か

みたいな質問をよくしていた気がする。

そして

性格が正反対の妹を

邪険にしたりいじめたりした。

一人っ子に憧れていた。


いわゆる躾をしない家庭だった。

ぐずぐず言えば鉄拳で黙らせられた。

私は言葉で説明して欲しかった。


あー!「印綬」が2つあり、

言葉が大事だったんだなあと

今ならわかる。

父に印綬はなかった。


それと特性として

耳の感覚が敏感だった。

そして4歳からめぐっていた

第二宿命の「病」

よくない想像が怖がりに拍車をかけ、

身体がこわばり

ぐったり疲れるほどだった。

日干の「乙」と相まって

環境に影響されるからなおさらだった。

まだ子供の人権などないに等しかったあの時代

昭和一桁の親の感覚


不安で物哀しい

あるいは心地よさの見つからない

孤独感があったのだろう。

記憶の断片に

星と感情を見つけ出す。

自分を抱きしめるその作業を

コツコツとやっている。



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