男なんて、みんなそうよ。

時刻は午後2時。
外に目を向けると、剥き出しのコンクリートがやわからな日差しに照らされている。道ゆく人の歩みもどこかゆっくりな、そんな午後である。駅前の駐在さんの眠そうな顔を見つめながら、過去を逡巡する。
しかし、私の過去も現在も、そして未来も決して幸福に満ちあふれているとは思えない。生まれてからずっと、私の体を求める多くの人々を相手にしてきた。彼らは私に少しのお金を渡すけれど、そのお金がどこへ行くのかはわからない。きっと、知らない間に抜き取られているのであろう。そんなことは、どうでも良かった。結局私は、逃げられない身なのだから。

(昨日ののサラリーマンには参ったわ)

私は誰にも聞こえないように悪態をつく。過去の男を思い出したところで決して楽しい思い出ではない。うららかなひだまりの中でさえ私の心は鬱屈していた。そのサラリーマンは、昨日の最後の客となる男である。午前0時28分。ようやく終わる一日に、私の心は密かに踊っていた。眠りの時間を目前にし、少しまどろみ始めていたのかもしれない。
ーーーーーバシッ
ふいに頬を殴られた私は、とろけるような眠気から一気に現実へと引き戻された。殴られたと気づいたのは、どのくらいも経たない時間だったと思う。彼はあからさまな憎悪が揺らめく瞳で私を睨み続けていた。
ーーーーーバシッ
彼は執拗に私を殴り続ける。乱暴な人。
「疲れているんだ。勘弁してくれ。」
私も少し意地になって、彼を離すまいと躍起になった。彼を抱きしめ、(行かないで!まだ私と一緒にいてよ!)と必死に叫び続けたが、彼は耳を傾けてはくれなかった。
結局、彼は強引に私を引き離すと、闇夜に向かって走り出した。少しのお金も払わずに。

(本当に、参ったわ)
私はひとつ、大きなため息を漏らした。時計は午後2時10分を指している。夜まではまだ長い。一眠りしようかと、周囲に目を走らせた。幸い、人々は私に感心なく春の陽気の中を歩いているだけだった。もう、昨日のことは忘れよう。そうよ、あんな男なんて。強引に思考を振り切るように考えることをやめようとするが、そうすればするほど私の心は彼に捕われていた。

どのくらい時間が経っただろう。思考を巡らせているうちに、どうやら日が暮れたらしい。にわかに道が騒ぎだし、心なしか人の数も増えていた。
(心を切り替えなくちゃ)
一夜限りの関係にいつまでも悩んでいるわけにはいかなかった。今夜も多くの客が、私の体目当てに列をなすのだ。無心でいなければ、とても続けられないことだ。それから日付が変わるまで、私は一心不乱に働き続けた。

午後8時。どうしてこんなにも客が多いのか。いささかうんざりしながら、外を見てなるほど、と合点した。いままで気づかなかったのが不思議なほど、外は大雨だった。人々は屋根を求めて私のところにやってくる。(安く見られたものね)気づかれないようにため息をひとつ漏らすと、私は際限なくやってくる人々を向かい入れ続けた。

雨はますますひどくなっている。そう気づいたのは、時計が午前0時をまわり、仕事も落ち着いた時だった。どんどん水かさを増す道路をぼんやりと眺めていると、視界にマリンブルーのパンプスが飛び込んできた。今年流行のウェッジソール。まるっこいラウンドトゥに、白いの小さなコサージュが映えている。視線を上げると、ミディアムの髪を少し明るく染めた、おとなしそうな女性が立っていた。小振りな腕時計をしきりに確認しているが、電車へ向かう気配はない。
(誰かを待っているのかしら。)
強くなる雨の音を感じながら、私はぼんやりと考える。時刻は午前0時28分。そろそろ今日が終わる。雨で濡れた足もとを見つめ、小さく溜息を漏らした。

ーーーーーバシッ

昨日の感触が蘇る。一瞬夢を見ているのかと思ったが、振り向くとそこには昨日のサラリーマンが立っていた。瞳には困惑と動揺が浮かんでいる。心が鼓動を早めるのを覚えた。あぁ、あの人だ。今日も、今日も会えたのだ。私は嬉しくて、思わず彼を抱きしめた。もう今日は離さない。素直にそう伝えようとしたその時だった。

「慎ちゃん!」

マリンブルーのパンプスが、近づいてくる。“慎ちゃん”と呼ばれたサラリーマンは、昨日のように強引に私を引き離すと、声の主へと向かって行った。

闇夜に消えるひとつの傘を見つめながら、わたしは小さくつぶやいた。

「おとといから定期切れてるのよ。」

fin


【自動改札機 じどう - かいさつ - き】
鉄道駅や空港などの施設の改札口(搭乗口)に設置されている機械で、
改札業務を人間に代わって行うものである。
機械が乗車券の磁気情報やIC情報をうまく読みとれず、
フラップドアを閉じてしまうこともしばしばある。
(@Wikipedia)