主張する日本になろう!

主張する日本になろう!

はっきり自国の主張をしないとウソが本当の様に世界にばらまかれます。今は戦国武将の様な肝の座った知恵者が必要な時です。

Amebaでブログを始めよう!
西日本新聞3月4日の一面「春秋」に大宰府の国立博物館で開催されている「国宝・大神社展」に対しての感想が日韓の交流がらみで以下の様に書かれています。

「日本と朝鮮半島の間では古くから連綿とした交流が盛んで、時代によって変化は有るものの
「一衣帯水」の間柄は変わらない。

神社に有る狛犬の「阿吽の呼吸」の様に日本と韓国は足並みを揃えて北東アジアの安全保障と経済発展を担うべきなのに、日韓両国は「阿吽の呼吸」どころか、そっぽをむいたままだ。

異質な文化と上手に折り合う知恵と寛容さを日本人は昔から持っているはずだ。」概略こんな所です。

[持っているはず」ではなく、異質な文化と上手に折り合う文化は昔も今も日本は十分に持っています。


中日辞典(小学館)では、一衣带水
「一本の帯のように狭い川や海、またはそれによって隔てられていること。たとえ隔たっていてもそのことが互いの往来の防げとはならないという意味で用いることが多い。」と書かれています。


確かに地理的には近いのにヨーロッパや、アフリカの日本から遠い国よりも心のつながりとしては希薄どころかはるかに遠いと思えます。

その理由として、日本が室町時代の1392年、仏教国・高麗を倒した李氏朝鮮はそれまで千年以上続いた仏教を廃止し儒教のうちでも原理主義的な「朱子学」を国の基本として定めました。

そして一万以上あった仏教寺院をことごとく破壊し、豊臣秀吉が「朝鮮出兵」した頃には山寺の
32寺しか無かったと言われます。

今までの文化風習を否定する事から始まる悪しき易姓革命思想です。


仏教寺院に光が当たり出したのは1910年に日本が日韓併合した後からです。


江戸時代から寛容な仏教と儒教の中でも実学的な陽明学を取り入れた日本と、ガチガチの儒教・朱子学を取り入れた朝鮮ではでは考え方が違って当然です。

仏教を捨て519年間も日本と全く違う観念で過ごしてきた国民が溶け合うのは、近いだけに難しい所があります。

さらに近年の韓国の学校における反日教育では日韓の理解を日本だけが望んでも無理です。



韓国に旅行に行くと観光案内のガイドが秀吉軍が、朝鮮のお寺を破壊したと説明するそうですが大ウソです。

こんな、すぐばれる単純なウソを平気で付く文化は日本には有りません。



更に隷属した「宗主国・唐」の中華思想から日本よりも朝鮮の方が上位に有ると言う思い込みが日本を軽く見る骨がらみの思いになって行ったのでしょう。

しかし、近世になってヨーロッパの文化を取り入れ日本語に翻訳した理科学、医学、自然科学、など多くの言語は日清、日露戦争後大量に来た中国の留学生によって中国に根付きました。

中国語の70%の近代語は日本発なので当然朝鮮にもその影響はもろに入っています。

まあそこらはお互い様なので、威張る必要も無く、韓国が偉いと威張る必要も無いのです。


恐らく韓国に日本の方から折り合おうと近付いて行っても反日教育を継続して来た韓国としては簡単に今までの態度を変えて親密なお付き合いを始めるとは考えにくい事です。

何しろ「日本に協力した者は逮捕し、財産を没収する」という恐ろしい法律が成立していますし、「日本が統治していた頃は良かった」と公園で[親日」の思いを言ったお年寄りが若者に殴り殺される事件が起きる韓国です。


本来ならば朴槿恵大統領は御父さんが日本の軍人で、大統領の時に「漢江の奇跡」と言われた経済発展の基となる経済援助を日本から受けた事にはほとんど触れられていません。

彼女の一族は「新日家」を処罰する法の対象外なのでしょうね。

こんな国民性の国に、「日本の折り合いをつける文化」が根を下ろせるでしょうか?

付かず離れずと言った所が良いでしょう。


「押さば引け、引かば押せ」の呼吸です。

向こうが求めない物をこちらからすり寄って行く必要は有りません。


西日本新聞「春秋」の記者さんは隣国は仲良くしなければならないと思い込んでいる様ですが、孫子の兵法も「近攻・遠交」と説きます。

なので、「日韓併合」などの持ち出しばかり多く、感謝されない失敗を繰り返さないように適当な距離を置くようにした方が良いと思う此の頃です。