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小林賢太郎さんについて

いきなり小林賢太郎さんが解任された。


首相曰く言語道断とのこと。おそらくこんな強い言葉を使ったのは、開会式当日小林さんがいない状態であること、オリンピックの歴史に小林さんの名前が刻まれないこと。そういう意図だと思う。



俺がなんで東京に出てきたかというと、お笑いの大きな大会で優勝し、東京の方が沢山のプロダクションがあると聞いたからだ。その大会にも多くの関係者がいた。


その大会のアマチュア勢たちの優劣を集計している間に、プロのラーメンズが出てきた。もちろんその後、優勝となる自分よりも爆笑をとっていた。そして、オチの付け方がたまたまなのであるが、俺と酷似していた。


その後トゥインクルコーポレーションというラーメンズの事務所に入り、俺はいつの間にか数ある芸人の中、3番手になっていた。


プライベートの話。小林さんも、俺も練馬界隈に住んでいて、お互いカラオケが好きなので、安いカラオケBOXに行って歌っていた。2人ともベタなことにチャゲ&飛鳥が好きなので主旋律は小林さん。チャゲは俺。ずっと高音をハモり続ける俺。


一緒にコンビ時代のバカリズムさんの単独ライブにも連れてってもらった。

「バカリズムさんって単独ではどんなネタやるんですか?」

と聞いたら

「俺たちの笑いがわかんないやつはバカだって感じのネタするよ」

と。彼は言った。すかさず

「それはお前やないか!」

と、突っ込んだら、まんざらでもないみたいな顔をしていた。


椿という単独ライブを手伝わせてもらった。一本目の糸電話というコントで下手側で糸が上下するのを調節していた。

椿の一本目のネタは俺のいる下手から小林さんは出て行く。俺の談笑した後に何事もなかったように。

「じゃあ快児行ってくる」

と、言い放って暗闇の舞台に消えていく小林さんの背中は大きかった。大きすぎた。


いじったら芸人のくせに怒るし、酔っぱらうと延々とマジックを披露してくるし、私服ダサいし。なかなか天才というのはよくわからない。


そんな小林さんと、お互いに単独ライブを行き来していた。打ち上げで感想を言い合う。この知名度の差でお互い毎回だ。



余談だが、俺の単独ライブ終わりの楽屋挨拶に同時にジョビジョバの坂田さんと小林さんが入ってきたのには驚いた。「最もお笑いに近い演劇をやってるジョビジョバ」と「最も演劇に近いお笑いをやってるラーメンズ」がだ。こんなことあるー?!俺の楽屋でっせー!



当時1番嬉しかったことは、小林さんはラーメンズの公演のあとの打ち上げで、真っ先に俺の前に来て

「快児の意見が聞きたい」と言ってくれること。

その時ばかりは

「最後のコント、はじめのコントにループするような作りになってましたけど、あれは取って付けたようなもんですよね」

と、クソ生意気に返す。でも小林さん的にもそう言う尖った意見を自分に対して言う人間が周りにいないようで

「あー、快児にはばれたかー」

などと嬉しそうに言う。




20代、尖っていた俺は自分はラーメンズにいつか勝てると思っていた。そして、自分と似たタイプの人がどんどん評価されていっていることに嫉妬していた。


事務所をサンミュージックに移籍してしまったので、最近疎遠になってしまったが、今なら言える

「誰より尊敬していました」

と。