桜塚やっくんという人 | 快児オフィシャルブログ「快児ワードファクトリー」Powered by Ameba

桜塚やっくんという人

105日深夜0時。バイトの休憩中、友人から電話がかかってきた。

「もう知ってる?」

「何を?」

「やっくんが…」

その口調で全てを察した。人が亡くなった時独特の動揺が伝わってきた。

電話を切り携帯を見ると、驚くほどメールが来ていた。

Yahooニュースを見て現実に起こった事だと認識した。


やっくんと初めて出会ったのは13年前。俺が東京で芸人になってすぐだ。

IKKANさんという方に、今度ブラックなユニットを作ってみないかと言われ、やっくんと竹内のコンビ「あばれヌンチャク」を紹介された。


初めの印象はよくなかった。このユニットは俺が脚本を書くことになっていた為

「人の書いた脚本演じるのって嫌じゃないかな?」

と聞くと、少しスカした感じでやっくんは

「ああ、『面白ければ』」

と言った。

なんだこいつと正直思った。


しかし、ここから俺とあばれヌンチャクは急激に親しくなっていく。

週に何度も顔を合わせ、ネタ練習や打ち合わせをし、飲みに行き、語った。いつの間にかお互いがお互いの人間性や能力を理解し始めた。


そして俺、ちむりん、パペットマペット、あばれヌンチャクで、ユニット「免疫魔神」を結成した。


やっくんはとにかく向上心がある。これで完成と思っていたネタでも、さらにいいものにしようとギリギリまで粘る。作っては自ら破壊し、再構築する。

そして恐ろしく行動力がある。思い立ったらすぐ実行。あとさきなど考えていない。有言実行。彼はいつも大きなことを言っていたが、宣言通り瞬く間に売れていった。


「免疫魔神」は2000年に「くるくる汚染B区域」、「くるくる惨め」と二回公演をし、2010年に再結成。過去二回のライブで好評だったネタをブラッシュアップして「くるくる人間ファクトリー」を行った。

俺にとってこのユニットは特別だった。もう一回やりたいと密かに思っていた。でもそれはもう叶わない。


芸能界というものを一度だけ意識したことがある。それはエンタの神様への出演が決まり、自分だけの楽屋を与えられた時だ。

楽屋に入り、「ここが自分の楽屋か」という思いを噛み締めていた。すると

「コンコン」とドアがノックされた。

「ガチャリ」とドアが開いた。


そこには人気絶頂のやっくんが衣装フル装備で立っていた。


次の言葉を忘れることはない。

やっくんはこう言った。


「快児くん、やっと来たね」


それからも何度も飲みに行っては奢ってくれ、地方の営業に連れて行ってくれ、少し鬱っぽくなっていた時期に俺を連れ出してくれ、一度は芸人の世界から退いた俺の前に滑走路を用意してくれた。本当に恩しかない。

何も返せていない。それがなにより心残り。


やっくんはいつも俺の先を行っている。

この先俺が死んだら、また


「快児くん、やっと来たね」


と言ってくれるんだろうな。



電話やメールをくださった皆さん、ありがとうございます。

俺のことまで心配してくれて。

もちろん凹んでやりきれない思いでいっぱいですが、俺は元気です。


桜塚やっくんのご冥福を心よりお祈りいたします。

快児