こんばんは。


昨日は、母の日でした。


日頃から何かと面倒を見て


くれる母の存在は、とても


有難い事です。


お寺の近くのもねの里に立札が


あり、挨拶は心の花を咲かせる


と言う表現がありました。


とても、善い言葉だったので共有


させて欲しいと思いまして記事に


して見ました。


真言宗の言葉の表現に誰でも心に


花の種がある。その種は、まだ開花


するのに時間がかかると言います。


美しい花が咲く時に人を癒せる存在


になるんだと思います。


大人になると垢が溜まる。すなわち


汚れたり傷が治り難い心になるかと


思います。誰が悪い訳では無いけれど


知らぬ間に心が汚れて、相手を傷つけ


自分も傷つけて、波乱に満ちた世界が


そこにあります。ある友人がこう言った。


「私は自分をイジメた人間を許す事が


出来ません」忘れられない。無かった


事に出来ないと言いました。


そうか、そうか。ソレは相手が憎いほど


許す事が出来ないだなと思います。


経験ある人はいる筈。でも、許す事を


覚えたら、相手の方も救われる事が


出来る。時には、許す事も大切だと


感じます。その為には、心の花を咲かせる


必要があるんだと思います。


人は出会いや別れがあります。


皆さんの中で思い出をどのように捉える


のか知りませんが、巡り会えた事を


感謝する人がどれくらい居るのだろうか?


私、住職の意見では、人に巡り合わせの


奇跡を感じています。善い事もあれば


悪い事もある。それでも、生きていける


そんな自分を感謝申し上げたいです。


最悪のどん底に落ちたとしても誰かが


救ってくれる。人の力に改めて驚きます。


もちろん、後悔の人も居ます。


ひどい言葉を言ってしまった。謝りたい


けれど、もうその人は居ない。


伝える術はあるのに不器用な事はあります。


時間や言葉の伝達によって人の心は


必ず変わるのだと想いながら、記事に


させて頂きます。皆さんの心に花が


咲きますように。今日のお話でした。


令和6年 5月13日 南無大師遍照金剛 合掌