こんにちは。


長期間に渡った連休も


終わりに近づきました。


先日の話の続きになります。


恵まれた時間や欲しかったもの


は簡単に手に入らない。


長い人生を共にする時に私たちは


恵まれた時間もあれば奪われる時間


にも遭遇します。そんな時に人間の


感情は過敏に反応する。


良い事もあれば悪い事もある。


そんな人生を繰り返している内に


疲れてしまう。本当に欲しかった


ものを見失うのです。


でも、本当に捨てたかったものが


ある。邪魔になっているなら捨てる


事が出来たら良い。だけど、捨てる


事が出来ない。誰かに遠慮をしている。


執拗なままに頑固になって意地を張る


人が増えている。もっと、素直になれた


ら楽になれる。元々は、何も無かった


ところに誰かさんが自分に荷物を預けた。


断ろうと思ったのに人の善いアナタは


良かろうと思って預かってしまった。


爆弾だったら捨てられるけど、高価な


価値のあるお金は捨てる事は出来ない。


コレを執着と言う。捨てる事が出来ない。


または、価値のあるものと錯覚して


特別な扱いをする事こそが執着なのである。


仏教の思想は、価値を見出す事から


始まったりする。今の仏教が信仰されなく


なったのは、善いものをつくり出さない。


心を汲み取る事の出来ない人が集まって


歪み合いしている。正しい事に使われて


こそ善業が働く。元々、価値を決めている


のは、人間の意見である。


誰かの意見に添うのも善いが自分が何を


したいかを考えるべきだ。


令和6年 5月6日 南無大師遍照金剛 合掌