今日、2回目の投稿です。


好き嫌いについて。


人間の感情は動物の中で


わかりやすいと思いませんか?


顔にその表情が出て来ます。


この人は好き、この人は嫌いだと。


その事で悩む人もいますが


自分の感受性くらい自分で守る事も


必要なのだと思います。


我々、僧侶も嫌われる対象になり


つつあるでしょう。


何故ならば不幸を売り物にしている


からかも知れません。


ある時に檀家の見舞いに行きましたら


何でお寺さんが来るの?葬式でないのに。


これには、流石に怒りましたが


事情を話して理解して貰いました。


このように、時として人間の中で


好き嫌いがハッキリする事があります。


好かれる事も時に悩む事もあります。


特に女性や男性でも異性から好かれて


追いかけられる事があります。


異性の相手にどのような気持ちで


理解して貰うか悩む事があるでしょう。


自分に好意を持ってくれるのは


有難いが、自分がその気でも無く


想いを告げたら、どんな仕返しが


待っているか、想像するだけで怖い筈


です。相手をどう納得して貰えるか?


その事で自分は嫌われるか?好かれるか?


判断が分かれます。人間の社会は


付き合う。付き合わない。


きっと、長い人生を歩む時に付き合う人


が選ばれる事があります。


他人、又はソレ以上に好意が無い人間。


好かれない生き方も良いと思います。


自分の足でちゃんと大地を踏めるか?


見返りを求めない生き方も必要だ。


困った時はお互い様である。


皆んな、昔はバカだったり、貧乏だった。


誰のおかげで一人前になっただろう。


もっと、胸を張って生きよう。


生きていたら、何でも出来る。


そうして、皆んなが大人になって


見本となり、称賛される。


頑張れ、自分。不名誉の看板を


着るのでは無く、もっと誇り高く


生きよう。頑張れ。


令和6年 1月8日 南無大師遍照金剛 合掌