おはようございます。


師走の時期で忙しいかと


思いますが体調に気をつけて


この日をお過ごし下さい。


今回は、中道思想について


お話したいと思います。


上も下も無く、真ん中を貫いた


仏教ですが。中道思想にこだわる


には、理由があります。


一つは、争いを無くす事。


二つは、自制する意味がある。


上と下があると言うのは


差が生じると言う事で差別が


避けられない。


そうすれば、イジメも起こるし


悪口も増える。


先程、二つ目の自制の意味は


正しい考えに辿り着く為には


一度は止まる必要がある。


お釈迦様が苦行で断食を実践した


折にこのまま苦行の上の段階を踏む


べきか?下の段階を踏むべきか?


もちろん、上の段階を踏めば良き


模範生として仲間から称賛されるが


断食の究極は死に至る。そこまでして


称賛される意味があるのか?


また、下の段階を考えると苦行を


止める事を意味するが、仲間から


蔑まれた目で見られる。堕落者扱い


である。では、中道とは何かと


言えば苦行では無く修行であると


説きました。すなわち、行を修める。


自分のちょうど良いところで行を


終えると言う事です。


例えば、修学旅行でも究極を求める


旅では無く、自分の適宜で学び修める


事を目的にしていませんか?


そのように学問と言うのは適当な範囲


で学んで最終的に終わる事である。


それ以上は苦行になるし、中道に外れる。


このような思想を外道と言います。


道から外れる思想を外道と言いました。


すなわち、究極を求める人たちの野心は


底が無い訳でその人の思想を否定しない


事が仏教の大事であるでしょう。


中道思想の生かし、仏教の本質が理解


されたのならば幸いに思います。


令和5年 12月13日 南無大師遍照金剛 合掌