こんばんは。


ある先生が裏の心を


読んだ。君は欲しがり屋さん。


そんなに急ぐ事なのか?


正しく、図星だった。


どうして、見抜かれたのか?


その答えを導く為にいろいろ


調べたりしたものだろう。


自分の問題は自分にしか解けない。


他人の力を必要としても最後は


自分で答えを見つける必要があった。


その答えが見つかった。


自信が無かったのだ。まわりの人に


バカにされる事や無視される事に


大きな不満を持っていたに違いない。


財力を武器に人を支配している。


ソレは、とても怖い事でもある。


僧侶がそのような行動に及んだと


したら先輩や先人の僧侶たちは


どう思うであろうか?


悟られたく無い。ソレが本心であり


真心を忘れてはならないとも思った。


お金で人を操る人は、その裏の心は


自信が無いように想う。何故ならば


お金で人は喜ぶ事を知っている。


他人が離れる事を恐れて姑息なマネを


する。他人をお伺いするような手も


打つから鬱陶しいかも知れない。


世の中は金では無いけど。金が無ければ


誰も寄りつく人もいない。


亡くなった祖母は金でモノを酔わせて


いただろう。自分がお金が要らないと


叫ぶと。私が貧乏人だからバカにしている


のか?と怒った。それから、お金を


軽蔑もしていた。欲しいならばあげて


しまえと思っていた。だけど、よくよく


考えれば、金の魔力で人の操る事の


楽しさを覚えてしまうと悪い考えに


落ち入りやすいのだろう。


自分がどこまでも偉いと及んでしまう事。


危険な信号が見えたら止まる事が出来ない。


今の現代に生きる人たちは危険な信号を


渡り続けて居て、誰も注意する事が無い。


犯罪は永久に続いてしまう。気がつくまで


反省を見れれば終わる。


先生は、どうして上を上をと焦っているんだ?


もう少し、ゆっくり進んでも良いじゃ無いか?


そんな事して疲れないのか?


楽しいか?そんな人生。君に良い話を聞かせて


やろう。そして、衛門三郎の話を聞いた。


私は聞いて涙が溢れた。正しく、自分が


犯した罪を暴かれたような気持ちである。


それらはすべて、自分の不甲斐ない


自信の無さから出たモノである。


何故、人は従う事をしないのか?


ソレがどんどん増えて焦って行く内に


人は鬼になり、悪巧みをするようになる。


そのような行為に走ったなら


人間としての悪人になったようなモノだ。


もはや、ソレは仏教であっても


キリスト教や宗教に関して言えば


懺悔すべき事でもある。


正しい法を歩む上で障害になるものが


あるのならば、ソレを悔い改めて


初心に帰る事である。


この世は、本当に恐ろしい。


誰も止める事や諭す人もいない。


だから、余計に犯罪はエスカレート


する。ただ、ブロックや裁判で


片付けるに及んだ簡単な作業では無い。


人を納得させる方法を作る。


同じ犯行が続く現代に於いて


何故に止める事が出来ないか?


人の納得する力が足りない。


例えば、好きなアイドルを両親が


嫌う事に似ている。


人間の感情は千差万別であり


好き嫌いは他人の意見で違いがある。


面倒な案件を金で解決してしまう


現代であるので、解決の糸口は無い。


そもそも、人の乱れは金かも知れない


くらい、世界で見れば実にお金を


取り上げている。世界も日本も狂って


いるに違い無い。


今を変えるならば何を優先すべきか?


邪な感情を捨てる事。


自信を常に持つ事。頼る心を捨てろ。


そんな事をしているから人の心は


悪に染まるのだ。頼る心も時に必要


だが、自分の努力も必要だ。


足りない分だけ他人から教わり


他人を助けられる存在になれ!


奉仕の力よ。今ここに。


令和5年 11月13日 南無大師遍照金剛 合掌