おはようございます。

 

まだ、朝日が出ていませんが急に目が覚めまして

 

なんだか予知夢のような夢を見ました。

 

不思議な不思議な夢であたかも現実に起こったら

 

怖いなと思える夢でした。

 

人間は面白い。

 

その夢は仲の良い幼なじみとの夢でした。

 

私は普段から人前で感情をあらわにしなかった。

 

だから、普段どおりに接していたのです。

 

ある日、幼なじみが素っ気ない態度をとりました。

 

私はある人にその態度が似ていてとても嫌な気分になりました。

 

実を言うとその幼なじみと喧嘩は一度もなかったと思います。

 

でも、言うんですね。グチグチと言ってしまいます。

 

最終的に幼なじみに「あなた嫌われ者ですね」と指摘されるんですね。

 

図星を突かれたようにショックを受けてハッと目が覚めました。

 

そして、今まで人に話せなかった想いがあったなと思いました。

 

その時に想った事は夢が夢であって良かった。

 

でも、現実に起こりうる可能性もある。

 

だからこそ、本当に言いたかった事をここに書きました。

 

人と言うのは難しい生き物かもしれませんが

 

近寄り難い人であっても話して見ると面白い人だったりします。

 

人を知るためのものは

 

または人と話す会話と言うのは

 

自分の心の内面にあります。

 

どうか、心の内にため込まないように

 

お願いします。

 

では、善い一日をお過ごしください。

 

平成28年 11月6日 憲法記念日(ドミニカ) 南無大師遍照金剛 合掌

 

今日の言葉

 

「形を沙門に比して信施を受く」

 

沙門 とは仏教の修行者をあらわします。

 

高僧の前には沙門空海と言うように

 

誰もが皆修行者です。

 

この文は真言宗の中興の祖である

 

興教大師覚鑁僧正が高野山の抗争に直面し

 

三年余りの無言行を行いました。

 

その無言行とは覚鑁僧正が誰とも面会をせず

 

寺院内に籠る行でした。

 

三年余り長い時間を経て誰もが

 

僧正亡くなったと噂された後

 

人前に出て講義を行いました。

 

争いで自分の命が奪われそうになっても

 

人々が教えを求めるものならば

 

そんな気持ちがこの言葉に込められていると

 

思います。修行の始まりは一歩踏み出す所から

 

始まります。勇気を持ってその一歩を踏みましょう。

 

南無大師遍照金剛 南無興教大師 南無専譽僧正 金剛合掌