おはようございます。
だいぶ更新が空いてしまいました。
いろいろ考えていたものもあったのですが…。
初雪が降った12日その後は凍えるほどの寒さでした。
2016.1.13 6;55 撮影
体調には充分気をつけて過ごしましょう。
それでは、今回は真言宗についてお話しましょう。
それぞれ日本の仏教には宗派があります。
宗とは教義の中心となる宗要、宗旨の意味であり、中国仏教では衆ともいわれ、
本来学派の意味であった。要するに集団の意味を指してます。
ちょっと専門書で『八宗綱要』なんて宗教書がありますので参考して下さい。
凝然大徳が書いたものです。当時の仏教の宗派について書かれていますが
鎌倉時代のものなので浄土や禅宗については詳しく書いてませんので注意ください。
でも、当時の仏教を知る手がかりとして専門書として参考になります。
では、話を戻して真言の宗名について、さまざまな学者によって見解されてますが
不空三蔵訳の『聖位経』に、「真言陀羅尼宗といっぱ、これ一切如来秘奥の教なり。」
ここから取って宗名としたのではないかと言われています。
真言宗以外にも、秘密蔵、密教、金剛乗、秘密曼荼羅教、真言密教など称される事も
あります。現在の世界にある仏教の中の密教を相承している所はチベット、モンゴル、日本
と言われています。モンゴルについては文献にあるのを知ってて書きましたが確かめてないので
時間ある時に調べたいとは思っています。元々は南インド地方から生まれた密教で後に海より
航海して中国に渡るものと陸から伝わったものと分かれます。
だから、真言密教所謂中国系密教と言われています。真言密教は実は中国の長安(現在西安)
の都で広まっていた教えを持って来ています。時代としては随の時代にはあったのでしょうが
その時の派遣制度が少なかった所為もあったのかもしれません。ただ、一部流れていたのかも
です。昔、弘法大師さまが久米寺に立ち寄った際に大日経を手にされその教えに惹かれた
文が残っています。唐の時代になると派遣制度が確かなものになり。
多くの学者や学僧など志のある人が海を渡り学ばれたようです。
当時長安の都は世界の最大の人口を誇っていました。
それと同時に滅亡の危機でもあったのかもしれません。
弘法大師さまの師匠である恵果和尚さまはすべてを相承した後
直ちに日本へ帰り教えを広めよと告げたそうです。
弘法大師が中国を離れ数年後中国は乱されて仏教のいくつかは
伝わらなくなると言う事です。現在日本では中国との交流しています。
真言宗では当時の時代唐の都の読み方に習い漢音で読む風習があります。
例えば、金剛→こんごう(呉音)通常の読み
真言宗 金剛→きんこう(漢音)唐時代の読み
このように経を読むのにも奥が深いものがありますね。
今日はここまで。
平成28年 1月15日 小正月 南無大師遍照金剛 合掌