こんばんは。



大分更新が空いてしまいました。



この所は争いが絶えない年かも知れません。



我々としてどうして人は争う事でしかないのかを検討してみたい。



そんな第3のテーマとして「人は弱いが為に自分を守る?」を話そうと思います。



私の世代は青少年の犯罪がニュースで注目されたものです。



サカキバラセイト(酒鬼薔薇聖斗)が世間をどよめきました。



警察への宣戦布告の文。そして、その虐殺の手口。



私と同じ世代にもこんな変わった奴がいたとはびっくりでした。



それにより、少年法も見直しされたとかで。



若い未成年であっても刑に課せられる義務があると考えた訳です。



だけれでも、それだけで犯罪が減る事はないのです。



経済が安定していない現状と昏迷する政治と国際においても何もまとまらない。



これでは、犯罪が増える一方である。



どうすれば、この絶対的な何かを変えるすべはないものか?



ある人は言った。話が出ないなら外へ行け現場を見て来い!



現場視察こそ大きな鍵だと。現場主義の人はよほどの仁徳でなければ出来ない。



そして、噂に惑わされるなと言う事である。



百聞は一見にしかず。私の座右の銘です。



噂に惑わされず独自の意見で言っているのです。



誰かに言わされているのではなく。これが物井住職の魂なのだ。



多くの意見を聞き。ある時はその実態を見に行く。



それが私のやり方である。幾つの困難があってもその分だけ



積み上げる。積み重ねがいっぱいになるまで積む。



そうして行く内に何かが見える。それが魂だ!



ちょっと話が逸れました。話を戻します。



人間と言うのは弱い生き物だ。それは自然の生態系であっても同じ事。



強者が弱者を踏みにじる。こんな逸話がある。戦いにおいて負けた事がない



そんな人がいました。しかし、ある人に諭されるのです。争いから何も生まれない。



その人は仏さまかもしれませんが薬師仏であると言います。



後に十二支の干支を守護する神将として十二神将と呼ばれています。



どんな事で改心して仏の味方になったのでしょうか?



どんな人にも弱い心があるものです。心を開けないそんな事だってある。



だからこそ、自分を守ってしまうのでしょう。人を理解する事なんて簡単な事でもない。



その為の課題でもあります。人それぞれのものがあり。



その薬をうるものも個々にある。



言える事は慈しみの心と愛を分け合う事。



平成28年 1月11日 成人式(祝日) 鏡開き 蔵開き 南無大師遍照金剛




供養法



『秘蔵宝鑰』、十四からなる問答より


公子が曰く、賢聖に遭い難きこと誠に其れ然なり。持戒、智慧、何ぞ其れ未だ聞こえざるや。


師の曰く、時に増減有り。法に正像有り。増劫の日は、人皆な十善を思い、滅劫の年には家ごとに


十悪を好む。正法千年の内には、持戒得道の者多く。像法千載の外かには護禁修徳の者少し。


今に当たって時は是れ濁悪、人は根劣鈍なり。



南無大師遍照金剛  南無興教大師  南無專譽僧正  金剛合掌