こんばんは。





今宵の月はきれいな満月です。





あと6日で新しい年が始まるなんて夢にも思わないですね。





今年を振り返ると激的な一年を歩んで来た感じですがこれを機に変わる事も大切です。





そして、9回目のテーマは後世に残すものを題として話します。




前回のブログテーマで仏さまが遺言で自灯明、法灯明の話をしました。



法と言うものに注目しましょう。



法と言うものは一体何なんでしょうか?



よく聞く話で法律なんて言葉と言うのがありますね。



辞書等にあるものを参照すれば分かってくると思います。



人の教えを尊びそこから生まれるもの。



そこが法のルーツではないかと考えます。



例えば、その土地で育って来た信仰などの言い伝え。



すなわち、法と言える。始めは仏の教えそのものの信仰から始まり。



後に菩薩が生まれ観世音菩薩(観自在菩薩)観音さまの信仰が生まれる。



観音とは世の人の声や音をそして様を見る仏のような慈悲の心を持つ方が生まれる。



菩薩→ボーディサットバー。仏のような心を持つ衆生。



この菩薩=観音信仰が後に坂東(関東)や西国(近畿)地方に多くの信仰を植えつけます。



まさに法の道が築かれるのです。誰かの為に奉公せねばと思う心!



菩提心や慈悲心が何かしら起こる訳です。そこから法が生まれ。



そして、幾百年幾千年幾万年と伝えられるものとして受け継がれる。



しかし、教えは時に非情とも言える。誤まった考えを世に触れさせないように。



また、人の講義録をメモしてはいけないとか。時には偉大な学者であっても不評が流れれば



その書物も燃やされ後世に伝えられないものも存在するらしいです。



このように後世に残すものの深い意味を知ったものもある。



今の日本には大事なものは何か残っているでしょうか?



今一度思い返す時もあるようです。




平成27年 12月27日 南無大師遍照金剛 合掌




供養法


興教大師著作集 『助師成仏頌』より




願はくは資が所修の諸の功徳


法爾新修の万善根


自師の成仏の道に廻向して


速かに群類を扶けて(たすけて)三尊を興さん


福河を譲って智々海に容る(いる)


寿苗を移して如々園に植ふ


輪円一味にして永く絶することなかれ


遍満広多にして常に浄く繁らむ


尊師真性は一心体なり


親教の実相は三密の言なり


師もし学成じて法本を照さば


資随って悟り敷けて(ひらけて)心源を見ん


同じく恒刹に遊んで三宝を興し


共に十方に往いて四恩を報ぜん


常に衆生を引いて大日に帰せしめ


遍ねく長夜を照らして昏迷を破らん




五大願



衆生無辺誓願度   福智無辺誓願集  法門無辺誓願覚  如来無辺誓願事  



菩提無上誓願証




南無大師遍照金剛 南無興教大師 南無專譽僧正 金剛合掌