おはようございます。



昨日、美川憲一の曲を聞いていてふと思いました。



美川さんの曲は女性の一途な想いを歌っている詩があるんですが



でも、今まであなたの為に尽くして来たのに私を捨てるのねみたいなそんなフレーズもあって。



でも、昔のあなたの良い事知っているわと。なんかとても女性のせつない何かを歌っている。



さそり座の女の他、お金をちょうだい、新潟ブールス、なんか聞きたくなったのです。



そこで今回の7回目の論題は「嫉妬の数々」ついて話します。



嫉妬とは他人の良い所に気がついて自分にはない妬みというどうしようもない気持ちです。



恐らくはこれに関しては対抗策と言うのはないと思います。



人から告げられて初めて知るケースがほとんどですね。ざわつく心で。



ある日自分でも知らない間に突然に起こる訳ですな。坊さんも何回もありましたね。



誰でも起こる事です。心に関するものについては多分唯識学分野ですがちょい勉強してません



ので、また何か分かれば話したいと思います。



仏さまも実は妬まれて苦しまされたようです。本当に最後のこの世を去る前まで



仏側とアンチ仏側が対立していた話があったのを知ってますでしょうか?



提婆達多(ダイバダッタ)と言う方がアンチ側のリーダーでした。



元は仏さまの弟子でした。しかし、仏さまにこれからのあり方を話ます。



しかし、聞き入れられないのです。後に「貴方は昔王子様だったから貧しい私の考えが理解



出来ないのだ。これではみなだらけて益々悪くなる一方だ」と反論します。



つくり話かもしれません。2500年前の話なのでニュアンスにとしてみたら合理性はあるけど。



提婆達多は仏の教団を抜けて数々の縛りをうえつけたその事が仏さまの寿命を縮めたのかもです。



でも、彼は無間地獄に落ちたと言われています。ここから地獄と言う思想が出るんですね。



地獄を落ちた時に彼は私はこの運命にあったのだと悟ったのかもです。



しかし、仏さまは彼に救いの手を差し出したと言う話を聞きました。



もしかするとつくり話かもです。提婆達多が反論した言葉は私の心に響いた。



そのおかげで私は人の嫉妬の心も受け取れるようになった。



だが、気がかりはお前の心を救う事が出来なんだ許してくれ。



彼はその時の一瞬だけで救われたのでしょう。



仏教の精神は慈悲です。慈しむ心。時には涙を流すきれいな心でありたいです。



是非とも皆さんの心に一輪の華が咲くように誰に対しても優しくありたいものです。




平成21年 12月22日 南無大師遍照金剛 合掌



供養法



興教大師撰述集 下巻 宮坂宥勝編注


和歌より


真澄(ます)鏡うつしおこする姿をば まことに三世の仏とぞ見る。



南無興教大師 金剛合掌