いつだったか
さだまさし氏がテレビで、
「人間いつブレイクするかわからないから、希望は捨てちゃいけない。金さん銀さんは100歳で大ブレイクした。」
と言っていたのを思い出した
本日、休日出勤だったので、こんな差し入れをもらった
なぜ金と銀なのか?というと、
黄色いカスタードクリームと、白い生クリームが入っているからだろう
このところ頭を使う仕事が多いせいか、甘いものがうまい
しかし不二家の製品を食べたのは何年ぶりだろう?
子供の頃は、不二家のケーキが大嫌いだった
甘すぎるのだ
あのころのケーキは、砂糖がフンダンに使われていたのだろう
ショートケーキを半分食べたあたりで、おえっ!となってしまい、
もうそれ以上食べられなかった
当時はいちごも嫌いだったので、ケーキを食べるのは苦行だった
1970年代の苺は、今のそれに比べて酸っぱすぎたのだ
先日、栃木県で食べた「とち乙女」は、すばらしく甘くておいしかった
長生きはするものだ
僕が苺を食べられるように努力しなくても、苺のほうが食べやすくなってくれたのだ
そういえば、苺だけじゃなく、トマトもニンジンもキュウリもミカンもリンゴも梨も、
1970年代に比べて、かなりおいしくなったと思う
これはすばらしいことじゃないろうか?
農家の皆さんの努力に敬意を表したい
その昔、僕はトマトが食べられなかった
給食のトマトが食べられなくて、
給食の時間が終り5時間目が始まっても、僕の机の上にはトマトが置かれていて、
食べるまで家に帰さないと言われ、泣きながらトマトを見つめていた、
なんてことがあったな
当時は子供の人権なんて、どうでもいい時代だったんだろう
しかし戦前なら、「御国ために」とか「非常時だから」とか、
ものすごい大義名分があったから、みんないやでも従ったりしてたんだろうけど、
1970年ごろは、いったい何のために子供たちに苦行を強いていたんだろう?
きっと先生がサディストで、子供をイジメて楽しんでいたんだろう
ひどい話である
ひどい話といえば、このところニュースでは毎日のように、
7千人死んだとか、2百人拉致されたとか、
報道してるけど、
日本では1人殺されたら大騒ぎなのに、どういうことだろう?
なんだか感覚がおかしくなりそうだ
「傘がない」でも歌いたい気分だ
そんな今日の昼ご飯は、
札幌ラーメン どさん子の味噌まぜそばだ!
本日は、汁なしのラーメンに味噌味は合わないってことを学んだ
貴重な体験であった
さて、
昨日の夜は、こんな壁紙を見つけた↓
スマホの待ち受け画面用なのだが、
これを見たら、こんな歌が頭に流れた
♪足元にからみつく
赤い波を蹴って
マシンが叫ぶ
狂った朝の光にも似た
ワルサーP38
この手の中に
抱かれたものは すべて消えゆく
さだめなのさ ルパン三世
今も頭の中に流れている
誰か、とめて、、、
では、また