「大学解体」「自己否定」
そんな言葉が散りばめられている
日本を支配する官僚制
その官僚の育成機関としての東大
それを解体するのだと、、、
だからエリートとしての自己を否定すると、、、
ところで、何でみんな東大に入りたがるのかな?
将来官僚になりたいから?
輝かしい学歴がほしいから?
名誉?地位?
全共闘は、それを否定するというのだ
なぜにそんなに純粋になれたのだろう?
あれから50年ちょうどだ
来年の2019年1月19日
僕の56回目の誕生日は、安田講堂で全共闘が機動隊に敗北して50年目の記念日だ
あんな純粋な東大生は、今もいるだろうか?
東大とほぼ同時に日大全共闘の闘いが始まる
こちらはエリートではない側の闘いだ
広い教室に学生を集めるマスプロ教育
それは教育というよりも商売だった
22億円の使途不明金が発覚
こんなところからも、当時の日大が、教育や研究ではなく、カネを求めていたことがうかがわれる
「お前らのせいで、ポン大と呼ばれる俺たち」
そんな言葉が印象に残る
あれ以来、大学側は真面目に授業をやるようになったという
あの闘争がなかったら日大は、いわゆるFランク大学のままだったかもしれない
ほら、今もあるでしょ?
何のために存在してるのかわからない大学が、、、
東大も同じだ
韓国では「ソウル大学を出たから、私大出の貴方より私のほうが偉いのだ」と当然のように言うらしい
本音はどうあれ、
日本で、自分は東大を出たから偉いのだと言ったら、下品なバカと言われるだろう
血まみれになって、自己否定した彼らが、この雰囲気を作ったのではないか?
学閥に対する問題意識も、彼らがいなかったら、どうだっただろう?
学歴によって人を差別することに、何の疑問も持たない世界が続いていたかもしれない
とりあえず一歩進んだだけかもしれないけど、
この方向は逆戻りはしないだろう
「大学解体」なんてできるわけがないから、
当然、彼らは潰された
ほんの一瞬のキラメキのように消えていったんだね
あの時代、日本は過渡期だったのだろう
日本人の多くは、農民から労働者へ変わっていった
当然生き方は変わる
理不尽となってしまった古い慣習と、それに付着した権力
暴れなければ、壊せなかっただろう
あー、でも変わってないかな?
僕は自由だろうか?
考えると暗澹たる気持ちになる
しかし!
全国の労働者学生諸君!!
我々にはカップ麺選択の自由がある
その権利行使の記録をして、我々は一時的に撤退することとする
生麺タイプというのもステキだ
徳島県で僕を雇ってくれる企業はないだろうか?
あったら、引っ越すんだけどなぁー
そしたら瀬戸内海でシーグラスを拾うんだ!
あ、タイトルと全く関係ないこと書いちゃった
昔、横浜国大の学祭のオールナイトロックを朝まで聴いたんだけど、なかなか面白かったよ
では、また