実に七年半振りの手紙となりました。
それだけの無沙汰の末になぜまた筆を取ろうと思い立ったのか、
そのわけを綴らせていただきます。
七年半の間、変わらず「物語屋」は続けていました。
ただ、「変わらず」とは言っても、
振り返ってみればということになるかとは思いますが、
語る内容はこの七年間でずいぶんと変わったように感じています。
昔話、神話、怪談、妖怪噺、落語、講談、創作話、詩、猫のおはなし、久生十蘭、宮沢賢治…
どんなものを語る場合もやることは基本的にはあまり違いはありません。
本番に向けて、一人でいる時間はただとにかく語りつづける、
近所の公園を歩きながら、お風呂に入りながら、夜寝る前の布団の上で、
そうして迎えた本番がどんな結果になるかはその時によると言いますか、
特に、どんなふうに聴いていただけたかという話になると、いくらこちらが考えても分かりようがありませんから考えないようにしています。
でも一つだけはっきりしているのは、
終わったあと、
その日に向けてそれまでずうっと語りつづけてきたその作品を、
公園でもお風呂でも夜寝る前の布団でも、再びまた繰りかえすということはありえません。
いつかまた語る機会があるかどうかその時点では分かりませんが、
そしてそこにはまったくかかわらず、
とにかく、その日を境に一度すっかり、手放します。
先日開催した「森のことば語り」という会で、
星野道夫さんの『森へ』という作品を語りました。
アラスカの原生林で星野さんが見たり聴いたり感じたりしたことが文章と写真で綴られています。
会は終わったのですが、
その翌日だったか翌々日だったか、
一人で道を歩いていて、ふと、
『森へ』をリフレインしている自分に気づきました。
こんなことは、物語屋を始めてから初めてのことでした。
これはもはや本番に向けての準備ではありません。
本番が終わっても、どうやら手放せない、手放したくないらしい、
今回にかぎってなぜ…
この作品では、アラスカの海や森で見られるさまざまな情景、
霧や木や苔や川や、そしてそこで暮らす生きものたち、サケやクジラやハクトウワシやクマの姿が、淡々と、とても静かに、ただ描かれていきます。
語っていると、それらが次第にはっきりと像を結んで見えてくる、
星野さんの文章の力はもちろん大きいでしょう、
でもそこに、文字ではない声と言葉、
いわば「語り」が持つ力を感じないではいられない気がするのです。
そのとき、本当に、
生きものたちの姿を見ているし、
漂う霧の匂いを感じているし、
深い木々や苔から上がる理由の分からない微かな音を聴きながら、
そこをできるだけ音を立てないようにそっと歩いていく自分がいます。
「想像の世界の旅」
と言ってしまうと、どこかで聞いたことがあるようなというか、使いまわされてきた言い回しな気もするのですが、
でもそういう言い回しなどではなく、
本当の意味でこの「旅」に出たことは、
どうやらこれまでなかったようです。
そして、初めて体験することのできたその「旅」は、
想像を超えて深い世界でした。
星野さんがその素晴らしい文章や写真で紹介してくれるアラスカの海や森を、
実際に訪れることはそう簡単にはできないでしょう。
でもそこを、「声と言葉」で旅をする、それは、
おそらくリアルなアラスカ旅行とも実は次元の違う世界で、
そしてその旅に、日々の日常の中でふと、「声と言葉」で出かけていくと、
いつの間にか日常の時間の感覚が静かに気持ちよく消えている、
そんな時間の中にいる自分に気づきます。
ずっと物語屋を続けてきて辿りついたのがこの「旅」だったとしたら、
悪くないかな、
と、
素直にそう思いました。
七年半振りの手紙のわけは、あまりに嬉しかったから、でした(笑)。
ここに辿りつけたお礼を星野さんに伝えなくてはなりません。
いつか機会があったらぜひこの「旅」にご一緒ください。
七年半前の手紙はこちら